年をとる哀しさ



 この3日間、登山の新人大会(南蔵王)に役員として参加していた。顧問を引退したばかりの昨年は一度もお呼びがかからなかったのに、1年を隔てて、今年は県総体に続き、新人大会までお呼びがかかったというのは、以下のような理由らしい。

 まず、今年は、顧問に新人が多く、彼らは登山の大会がどのようなものか知らなかったので、年度の最初の大会である県総体は、「平居を呼べ」ということになった。また、今春、県内各高校の山岳部には、なんとびっくり、例年の1.5倍ほどの入部者があった。新人大会は、県総体と違い、各校1パーティーという出場枠がないため、顧問数に対して参加者数が多くなり過ぎてしまった。そこで、また「平居を呼べ」という話になった。そもそも、なぜ絶滅危惧種の山岳部員が突如そんなに増えたかというと、顧問諸氏の分析(想像)によれば、震災で「サバイバル」ということに対して関心が高まったからだそうである。もしもそれが本当だとすると、少なくとも新人大会に私が役員参加したことについては、震災の影響だということになる。まるで「風が吹けば桶屋がもうかる」式の理屈である。震災にはそんな妙な影響もあるのである(?)。

 それはともかく、天気予報を見ながら、快晴の下、盛りの紅葉を見ながら、「女子高生と楽しい山歩き」のつもりで出掛けて行ったところ、残念ながら、1500m付近から上は雲の中、気温5度、15m前後の風という条件で、ひどく寒い思いをし、その上、不忘山からの下山路が泥んこのつるつる状態で、10時間を超える山行は精神的にも肉体的にも思いの外ハードなものであった。

 ところで、上に「女子高生と楽しい山歩き」とは書いたものの、実際には、私は、馴染みの顧問諸氏と交流することを楽しみとして行ったのだが、初日からなんとなく体調すぐれず、初日の寝不足+2日目の山行で2日目は更に体調が悪化し、不覚にもあまり交流することもなく、横になっている時間ばかり長かった。

思えば、どうも今年は調子が悪い。日頃の「走る」にしても、昨年までとは全く違って、体が前に出ない。ハーフで1時間36分という昨年の記録は夢のまた夢で、今年は当初の目標(1時間30分)はおろか、ハーフですら完走が覚束ないような気がする。7月の職場検診の結果は、何だか私だけ真面目に仕事をしていないのではないかと、気恥ずかしさを感じるほどに完璧(異常なし)であった。となれば、思い浮かぶのは「年のせい」という言葉である。

 年齢による衰えが決して直線的でないことくらいは覚悟していたが、最近の失速は尋常ではない。それに比例するかのように、食べられる量も減っている。今回の山行でも、いくら10時間、標高差1200mとは言っても、ペースはゆっくりだし、何よりサブザックである。これで青息吐息は「屈辱的」と言っていいほど情けない。もしかして、これは噂に聞く「男の更年期」というやつではあるまいか?などとふと思っては、大会に付き添って下さっていた旧知のY医師に尋ねてみると、そんなものが本当にあるのかどうかすらよく分からん、と言われてしまった。こればかりは、震災の影響とも思えない。

 そうしたところ、私より3歳年上のA先生が、45歳だったかのある日、全く突然に「老眼」になった話をしてくれた。う〜ん、やっぱり加齢の影響はある日突然襲ってくるものなのだ。それが表れる時期にしても、表れ方にしても、個人差が非常に大きいであろうことは想像が付くが、どうも最近の不調は年齢による、治らないものである可能性が高いという確信はいよいよ強まった。

 大会の最終日(今日)は、昨日とはうって変わって、雲一つない快晴であった。山麓のキャンプ場で閉会式をしただけなので、山には入らなかったが、標高1000mくらいから上は紅葉の最盛期であることが遠目にもよく分かる。明るい陽を浴びて、それは確かにとても鮮やかで華やかなのだが、私にはなんとも寂しげな秋の風景に見えて仕方がなかった(涙)。