力強い援軍現る・・・新都市計画批判



 ほとんど冬休み中、C型肝炎の闘病記を整理していたので、その時その時の話題に触れることが出来なかった。

 正月休み中の新聞記事で、これはと思ったものがある。1月4日の『石巻かほく』に載った岩手県立大学教授元田良太氏の講演会に関するものだ。

 石巻の復興計画は、12月に議会を通過してしまったが、そこには高さ7.2mの防潮堤と幅50m高さ5mの高盛土道路による二重防御(二線堤)が構想されている。

 元田氏によれば、それは決して良いものではない。なぜなら、1:盛土には構造的に防潮堤の機能がない、2:地域を分断し、景観の面で街作りを阻害する可能性が大きい、からだ。なまじ、仙台東部道路がたまたま防潮堤の機能を果たしてしまったために、人々が間違った方向に進むことになったのだと言う。あれだけ多くの防潮堤が津波によって破壊されたのだから、まして高盛土などが津波に耐えられるわけがないというのは、私にはひどく簡単な話に思える。元田氏は、どうしても必要なら、高盛土道路ではなく、丈夫な防潮堤の上に道路を設けるという発想をすべきだとも語るが、「地域の分断」を危惧することからしても、そのような提案が氏の真意であるようにはどうしても読めない。

 むしろ、「防災機能はその時にしか機能しない。平時と非常時のバランスが必要だ」と語り、日本が「自然を思い通りの形に征服する欧米と違い、自然と共存する考え方を基にしていた」ことを指摘して、避難を主体とした街作りを紹介する所にこそ、氏の主眼はあると言うべきだろう。また、元田氏の議論の中心はあくまで「高盛土道路」であるが、景観の悪化については、防潮堤でも同じことだ。

 私が現在の都市計画、特に二線堤による陸地の死守について抱いている最大の懸念は、11月17日記事の本文とコメントに対する返信に書いた通り、「美観」と「維持費」である。有名な話(?)、私は、相当以前から「日本電線撲滅協会会長」を自称している。日本の都市景観を破壊している元凶は電信柱と空中電線であって、それらを醜悪だと思わないのは、日本人の貧しい美意識や、美という抽象的な価値よりもコストを優先させる文化的後進性によっている、というのが会(会員数1名)としての主張である。防潮堤や高盛土道路の「維持費」を心配しながらコスト優先をバカにするのは矛盾だ、と言ってはならない。私は、美観よりもコストを常に優先させてはいけないと言っているのであり、新都市計画では美観を失った上にコストを心配しなければならなくなっているのである。こんな困ったことはない。そんな私にとって、元田氏の見解は共感するところ大であった。

 いくら今回の震災が歴史的事件であっても、ほとぼりは必ず冷める。その時に、人は7.2mの防潮堤と幅50m高さ5mの高盛土道路の谷間で、空を見つめながら何を思うのだろう。そういう場所で育った子供は、どのような感性を持つようになるのだろう。陸前高田市も、あの繊細優美な「高田の松原」の跡に巨大な壁を築くのだろうか?日本各地にある白砂青松の海岸線は、「危険」だという理由で消えていくのだろうか?人が危ないと思う場所から撤退すれば済むだけなのに、そこまでして守ろうとするものとは一体何なのだろうか?

私は講演を実際には聴いていないし、新聞記事の正確さには常々懐疑的なので、あまり多くをコメントは出来ない。しかし、新都市計画の骨組みが決定した後ではあるが、元田氏の講演の方向性も、その講演を主催したのが、「石巻商工会議所」という地元を代表する経済団体であったことも、なんとも頼もしく、心強い気がした。