恩師を囲む会



 3日からのゴールデンウィーク後半は、間近に控えた地区総体のため、部活でつぶれる人には申し訳ないなぁと思いながら、事情があって実家に帰っていた。酒を飲む機会の多い連休だったが、最もレアだったのは5月3日の「恩師を囲む会」だった。

 この日、仙台市内で、小学校時代の同級会が行われたのである。4月の半ばに、幹事役の元女生徒(?)から電話がかかってきてびっくりしつつも、なんだか気恥ずかしいような、嬉しいような気分で、いそいそと出掛けていった。

 集まったのは、恩師の他に7名。ほとんどが20年以上のご無沙汰。私が中学校の半ばで転校した都合もあって、それ以来会ったことがなかったという人もいる。最初は、2〜3を除いて、誰だか分からなかったし、相手のことをどう呼べばいいのかも分からないという戸惑いが強かった。

 それでも、1学年4クラスの決して小さくない小学校だったが、小学校5・6年とクラス替えも担任の交代もナシ、という中で、メンバーにも恵まれ、濃密な時間を過ごした仲である。1軒に腰を落ち着け、5時間あまりも語り合った。

 この日の会が、思い出と人の噂話中心になるというのは仕方のないことだ。これほど久しぶりだと、それも十分に面白い。

 その中で、当時の学校生活についての話は、今、自分が教員という立場で聞くと、なんだか少し不思議な気分になるものであった。

 私自身はW先生の授業と言えば、理科と体育しか憶えていない。そう言うと、他の人は、国語も算数もやっていたと反論もしくは弁護する。そのくせ、授業をつぶして遊んでいたことが多かった、と盛んに語る。本当は何の時間か知らないが、天気がいいと言っては一緒にサッカーやソフトボール、水泳に興じ、校内球技大会では当たり前のように総合優勝した。2時間目と3時間目の間に、「業間」といって、15分だったか20分だったかの少し長めの休み時間が設定されていた。W先生は、この時間を延長し、私たちに毎日3キロほどのマラソンコースを1周させていた。

 みんな、「よく遊んだよなぁ」「だけどあれはいことだったと思うよ」「なんだか最近学校うるさくない?」「子どもが高校に入っても、今日学校に来ていません、とかって担任から電話来るよ」(ドキッ!)「そんなことでいちいち電話寄越すなって・・・」と語る。そしてありがたい幸せな小学校時代を過ごさせてもらった、というのが結論である。W先生ご自身も、生徒に恵まれ、楽しい幸せな2年間だったと語る。もっと授業をやってくれていれば、もう少しマシな人生が送れたかも知れない、などとは誰も言わない(考えていない)。そして、このクラスの仲間は、その後、中学、高校、大学と、学業でもスポーツでも、なかなか優秀な成績を収めた人が多かったような気がする。

 みんなが「よく遊んだ」と盛んに言いながら、W先生の価値は、私たちを遊ばせてくれたところにだけあったのかというと、決してそうではないだろう。時に行われていた(?)授業が良かった、というだけでもないだろう。では、いったいW先生の価値とは何なのか?と考えて、私は答えに窮する。そしてこのことは、私が学校とはどのような場であるべきか?教員はどのような存在であるべきか?について、実は明確な答えを持っていないことを意味する。あえて言えば、それは先生の人間としての魅力そのものであり、では、一体どうすればそのような人間的魅力が生まれるかと言えば、やはり分からない、ということになってしまう。ただ、現在、国や県や校長から盛んに言われるようなことをいくら忠実に行っても、そこから生まれてくるものでないということだけはよく分かるのである。