授業よりも金環日食だろ?



 昨日は金星の太陽面通過というイベントがあった。私は、学校で見た。朝はどんよりと曇りで、やがて土砂降り。しかし、何しろ、たった5分の金環日食と違って、6時間である。そのうち晴れるさ、と思っていたら、案の定、雲が切れ始めた。最初は、遮光フィルターだけで見ていたが、金星が小さすぎてどこにあるのか分からない。言われてみれば見えるような気もする、というだけだった。次に、10倍の双眼鏡に遮光フィルターを装着して見てみたところ、明瞭に見えた。あまりにも月並みな表現だが、美しいというか、神秘的というか・・・。金星の大きさは、地球とほぼ同じ。太陽よりも手前にあるのに、これだけ小さくしか見えないということは、太陽って、本当にとてつもなく大きいんだなぁ、という感動も大きかった。

 そういえば、5月21日の金環日食については書いていなかった。残念ながら仙台では部分日食に過ぎないが、宇都宮まで行けば金環状態が見られるということだったので、私は、「年次休暇(年休)」という制度もあることだし、この日は仕事を休んで関東まで行くぞと、早くから決めていた。毎日繰り返される授業と、千載一遇の金環日食とを比べれば、どちらが重いかは明白に思われた。多くの教員が私と同様のことを考えると面倒だし、変な用事を押しつけられてもまずいと思ったので、年間予定の決まる前、3月のうちに手続きをしてしまった。

 理科の教員である妻を誘うと、小学校に通う娘をどうしようかという話になったが、「バカもの、ありきたりの授業と金環日食とどっちが大事なのだ?!」と言って、「家庭の事情」として休ませることにした。心に何か大きなものが残る可能性は、金環日食の方が俄然大きい。もっとも、4月に入ると、好都合なことに5月19日が運動会、21日がその代休となっていて、結局娘を休ませる必要はないことが分かったのだが、それは結果論である。私は断固として欠席させ、連れて行くことにしていたのである。

 金環食は千葉県の幕張で見た。どんよりと曇ってはいたが、雲の切れ間から2回、延べで20秒くらい、本物の金環食を見ることが出来た。娘も大喜びしていた。行った価値はあったと言うべきだろう。

 幸か不幸か、何が何でも金冠状態を見たいと、年休を取って関東地方まで足を延ばした教員は、私だけだったようだ。人にはそれぞれの価値観というものがあるので、別に問題とすることでもない。ただ、職務に忠実な教員は何があっても授業が優先、などという硬直した考え方を持っていた結果でないように願うだけである。

 ところで、県総体登山競技の会場で、マーラー音楽祭についての宣伝をしていると、「うちの学校この日に行事あるから」「授業あるから」という学校が3校もあった。かく言う私=宮水も7月16日が海の日ということで、水産高校ならではの大イベントが予定されており、それに間に合うように帰ってこなければならない。

 振り替え休日というやつは、少なくとも形式上は確保されるはずだから、何かの事情で3連休のどこかに授業や行事があっても構わない。しかし、「だから名古屋に行けない」は少し違う。行事・授業と名古屋のマーラーとを比べ、自分の人生により大きな影響を与えそうな方を選べばよいだけのことである。ただのサボリとは訳が違う。何が何でも授業が優先、と考えるのはよくない。私だったら、少なくとも普通の授業よりは名古屋のマーラーである。そう考えるに値するほど、それは特殊なイベントだ。