これは本当に恐ろしいことである



 パソコン遠隔操作による脅迫事件が話題となっている。人間が、技術に翻弄されるなどという話は今に始まったことではないので、驚くには値しない。今回の最大の問題は、最近どこかの新聞の社説にもあったが、警察が無実の人間から自白の供述を引き出せた、ということである。これは、もっともっと大騒ぎするに値する本当に恐ろしいことだ。

 普通に考えれば、これは絶対に不可能なことだ。容疑者には黙秘権もあるので、「自分はやっていない」という主張が受け入れられそうにないなら、裁判を待って黙り込むことも可能である。しかし、実際には、「自白」が為されている。ここにはやはり、何か非常に不自然な力が働いているとしか思えない。もちろんそれは、密室で行われている取り調べのやり方の問題である。

 警察・検察というのは、公務員の中でも特に強い権力を持つが故に恐ろしい組織だ。それが建前上市民生活の平穏を守るための組織だったとしても、人間の組織である以上、優先するのは自分たち自身の平穏であろう。自分たちが正義の味方の自覚に酔うためにも、社会からの批判を受けないためにも、その組織の中での栄達を目指すにしても、無理をするということは容易に起こり得るような気がする。

 そしてこの場合、背後に、市民の警察、いや権力というものに対する脳天気な信頼があることを軽視してはならない。日本人は「お上」に非常に弱く、お上のやることを無批判に見守る傾向が強すぎる。あらゆる憲法が前提とするとおり(日本国憲法は第99条で、憲法を遵守する主体が公務員であることを規定しているが、これはそのような「憲法」の性質の表れである)、権力は必ず暴走するものなのだ。警察に任せておけばよい、という信頼が、警察の中に、自分たちの見込みは間違っていないという自信と横暴とを産むのではないのか?

 私たちは、毎年のように話題になる幾多の冤罪事件や、3年前の村木厚子さんに関する検察の不祥事によって、警察や検察を無条件に信頼してはいけないということを学んでいるはずである。警察も検察も間違わないなどということはあり得ないということを国民が肝に銘じ、常に警察や検察のやることを疑うようになった時、初めて、それらも健全化への道を歩み始めるに違いない。