えっ!確定申告ですか??



(3月15日付け学級通信より)


 一昨日、我が家で鶯の初鳴きが聞かれた。思えば、震災のあったちょうど2年前、冠水していたり、倒壊家屋が邪魔していてなかなか自宅に近づけず、2日間かかってようやくたどり着いた時、庭では鶯が鳴いていた。背後に見える南浜町が全滅し、悲惨な姿になっていただけに、その声の美しさとのどかさは印象的だった。それが3月13日のことだから、季節の巡りはぴったりと一致していることになる。「はかない人事と悠久の自然」という言い方がよくされるけれども、本当に自然は変わらないのだなぁ。そんな感慨がわき起こってきた。


【お金をもらうのは大変!!】

 3月授業で、せっせと履歴書書きに取り組んでもらっている。例年、7月に作業を始めて上手くいかず、さんざんな思いをするので、今年は少しでも早く、志望理由以外は全て完成させて、あとは写せばよいだけにしよう、と始めたものである。うかうかしているとあっという間に8月だ。就職へ向けて、準備(心の準備も含めて)は確実に進めていこう。

 ところで、今日まで、税務署では「確定申告」というものを受け付けている。昨年1年間の収入を申告し、所得税相続税の額を確定させるという作業である。会社や官公庁で働く普通のサラリーマンは必要ない。職場が給与としていくら支払ったかを税務署に申告すれば、それで済むからである。

 先日職員室で、「平居先生も、今年は確定申告が必要だね」と声を掛けられた。これは、『それゆけ、水産高校!』が出版されたことで、印税収入が入るようになり、学校(県)からもらう給料だけが収入ではなくなったため、確定申告に行かなければ、ということである。そう言えば、以前も、生徒からも「先生、ガバガバもうけてんだっちゃ?」と言われたことがある。

 ふ〜ん、人はそういう目で見ているのか?それが現実であれば、本当にありがたいことなのだけど・・・、と思った。自慢ではないが、私には2冊の著書があって、それによる収入の合計は、いまだにゼロである。本を出すのには膨大なお金がかかるため、当初の出版費用を出さずに済めば「御」の字、だから、少なくとも私の場合、一定の部数が売れない限り印税は支払わない、という契約になっている。このハードルがとてつもなく高い。だから、「ガバガバもうける」どころか、執筆の段階で何かを調べようとすれば、どこかに行ったり本を買ったりでお金がかかり、「お礼」とか「見本」とか言って本を差し上げれば、その本代も自分の持ち出しになるので、大きな赤字、というのが現実である。本を出してみると、文筆で飯を食うなんて絶対にあり得ない、ということがよく分かる。目下の私のささやかな夢は、1円でもいいから印税を受け取ってみること、なのである。

 思えば、これは「仕事」というものの大変さを象徴しているのではなかろうか?原稿用紙300枚以上の作文をするなど、諸君にしてみればほとんど「神業」だろうが、それでも収入は容易には得られない。毎日「E2動物園」で「飼育」もしくは「調教」に励むのも同様、とにかく「仕事」をしてお金をもらうのは簡単ではないのである。


その他の記事省略


(裏面:3月12日付け『日本経済新聞』より、「働くルール学ぶ場拡大〜若者の仕事でのトラブル防止」を引用。平居コメントなし。

3月9日付け「天声人語」を引用。

平居コメント:震災の教訓を伝えるということがよく言われるけれど、人はどうして、自分が過去からいかに学んでいないかということに気付けないのかなぁ、と思う。人間は文字を通して過去から学べるから人間なのだ。たかだか2年前の自分の体験ばかり、教訓、教訓と叫んで人に語ったって、たいした価値はない。68年前のこの出来事から何を学べるのか、思いを凝らしてみよう。)