闇を壊す・・・マルハニチロ食品門脇工場のギラギラ



 今月に入ってから、偶然、「歩道橋」「空中電線」という、私の感覚では「日本の恥」とも言うべき問題について書く機会があった。ついでなので、少しグチっぽいかも知れないが、もうひとつ書いておこう。

 我が家から東の方向、北上川の手前に「マルハニチロ食品」という会社の工場がある。あまり大きな工場ではない。食品加工であるには違いないが、何を作っているのかも分からない。もちろん震災で甚大な被害を受けた。もう閉鎖するのかと思っていたら、数ヶ月後に復旧し、操業を再開した。なかなかやるなあ、と感心し、喜びもしたのだが、困ったことが一つ起こった。なぜかは知らないが、我が家の方向に向けて、ほとんど暴力的とも言っていいほど強烈な照明装置が取り付けられ、夜な夜なギラギラと光っているのである。周りの家は全て流失し、真っ暗な闇になっているだけに、その明るさはひときわ強烈である。もちろん我が家からは500メートルも離れているのだから、その明かりで、我が家の庭が明るいなどということはないのだが、豆電球でも直接目を照らせばまぶしく、目障りだというのと同じで、不愉快この上ない。我が家は、南側に人の家も道路もないので、カーテンを閉める必要がない。震災前は、南浜町の夜景と漁り火を楽しむことが出来たし、震災後は闇に満たされ、それはそれでいいと思っていた。そこへこの「ギラギラ」である。

 以前も書いたことがあるが、私は静寂とか闇というのは自然であって、音にしても光にしても、出すのは必要最小限でなければならない、と思っている。必要最小限を超えた音と光は、自然破壊以外の何物でもない。

 2年近く我慢していたのだが、どうしても工場にとって必要な灯りには見えないし、私が一方的に我慢している筋合いはないのではないかと思い、今月1日に、勇気をふるって電話をかけてみた。私はこうして「文句」を言うのが苦手である。もちろん、きちんと名乗って、「消してくれ」からではなく、「西側に向けたあの灯りは何のためのものですか?」と穏やかに話し始めたのである。ところが、相手は私の電話番号まで聞くくせに、自分は名乗らない上、答えは明らかにウソで、実際に不愉快を感じている人間がいるのだといっても、一言として謝るわけでもないので、だんだん腹が立ってきて、最後はかなり強い口調の「苦情」になっていた。とはいえ、相手はまったく聞く耳を持たない。

 会社が語る理由とは、校内を走るフォークリフト等の安全確保である。絶対にあり得ない。さほど広くもない構内を夜間に走るフォークリフトのために、これほど暴力的な光を、はるか西の空中に向けてまき散らす必要があるはずがないのである。

 私の想像によれば、この照明は「サービス」なのである。真っ暗になってしまった被災地をライトアップして、夜間に日和山を訪れる人にも見えるようにしてあげよう、というものなのだ。それは、明らかに必要最小限を逸脱した、ただの自然破壊であり、「節電」が強く言われるご時世であることを考えなかったとしても、正に「余計なお世話」なのである。

 日本では、いまだに静寂や闇の価値が正しく認識されていない。静寂の価値は少し認められるようになってきたが、それでも、音が「公害」となる(「公共の福祉」のために我慢を強いられる)ラインは非常に高い。まして、闇に関しては、その価値はまったく理解されておらず、むしろ闇を壊し、明るくすることをいいことだと考える人は、いまだに多いのではないかと思う。私は、やはりこれも「心の貧しさ」だろうと思っている。静寂も闇も公共物であり、きちんと向き合えば、「自然」として美しいものなのである。

 隣の家のご老人とはグチをこぼし合ったことがあるが、幸か不幸か、家の中からその灯りが見える家などごく限られていると思うので、「集団の力」を作ることが難しい。どうすれば、この理不尽な不愉快から脱出できるのか、本気で知恵を絞らねば・・・と思っているところである。