大阪市長・橋下徹氏の発言がまた物議を醸している。多くの人がいろんな論評をしているので、私が何かを語る必要などなさそうなものだが、少し触れておこうと思う。
私が発言翌日の新聞を見ながら、橋下氏の発言に救いようのない低劣さを感じたのはもちろんとして、もうひとつ非常に気になったのは、自民党幹事長・石破茂氏の「政党トップとして発言に配慮しなければ国益を損なう」というコメントであった。
確かに、ひとつの政党のトップとして発言には慎重でなければならないということはあるだろう。しかし、発言の際にまず問題にすべきが、その内容の真実性(哲学的な真実性と自分に対する正直さ)ではなく、損得だとすれば・・・、とりあえずは利益を生むかも知れないが、遠い将来には逆に大きな問題を生むことになるのではないか?目先の損得を考え、理念を追求しない所に明るい未来はない、と私は思っている。
私としては、橋下という人は正直な人だなぁ、と思う。政治家は正直でないと、選挙の時に有権者が正しい選択を出来ない。前段と関係するが、政治家が「公益」だけではなく、自分自身が選挙で勝てるかどうかという「私益」をも絶えず意識するようになってしまうと、「受け」のいいことばかり考え、話すようになるので、社会に与える悪影響甚だしい。橋下氏のように、正直に本心を語ってくれると、それが低劣極まりないものだとしても、当選したらみんなの責任(有権者がバカ)としてあきらめが付くのでいい。私は、政治家として立派だと思う。
とは言え、発言の内容は、ここに書くことさえ汚らわしいほど破廉恥である。従軍慰安婦問題は、以前から彼のような主張を持論としている人が一定数いることが分かっているので、今更驚きもしないが、沖縄のことについてはあきれた。恐らく、それは橋下氏自身の性に対する意識というか、性欲というかを反映しているのだろう。男はみんなそのようなものだ、と思われたのでは迷惑な話で、男性全体に対する侮辱でさえある(5月15日付け『河北新報』で、弁護士・打越さく良氏が似たようなことを言っている)。あるいは、昨年だったかに女性問題が発覚してちょっとした話題になった橋下氏とすれば、一般女性を相手にすると面倒なことになる可能性があるから、やるならプロにしろ、という自分の教訓を述べたつもりかも知れない。
橋下氏が、政治のあり方について最も繰り返し強調することのひとつは、「決定できる政治」ということであろう。これについては、以前少し書いたことがある(2012年3月14日、同19日)。決める必要のあることを決めるのはよいが、決める必要のないことまで決めて、民主的なルールに則って決まったことだから、それに従わない者は懲らしめる、というのは、民主主義の根幹である自由と平等を脅かす、橋下氏は、決める必要のあることとないことの区別に対してのデリカシーが著しく欠けている、だから困るのだ、というようなことであった。人々が、決める必要のあることを自分の望むような形で決着させてくれるという幻想を抱いて、橋下氏に投票するのは非常に危険である。
教育(学校)のように、多様な価値観と個性を認めてこそ豊かな収穫が得られる場所でこそ、橋下流の弊害は極まる。日の丸・君が代問題に対する氏の言動は、そのことを象徴する。
『させられる教育〜思考途絶する教師たち〜』(野田正彰著、岩波書店、2002年)という本がある。日の丸・君が代問題とは何か?を追求した本である。読んでいると、絶望的に暗い気持ちになる。しかし、なぜ絶望的に暗い気持ちになるのかというと、残念ながら、そこに書かれていることが、今の教育行政の真実なのだと実感できるからに他ならない。その中に、「日の丸・君が代の強制には、なぜか破廉恥教員や官僚、国会議員が必ず登場する」という一文があって、その後に、セクハラ問題を起こした教員、受託収賄罪で逮捕された国会議員、収賄罪で有罪判決を受けた文部官僚の例が紹介されている。そして、その部分の最後は、
「なぜこれほど、日の丸・君が代強制による抑圧には、歪んだ人物が集ってくるのだろう。人の心を蹂躙する者は、男らしさを強調し権力に擦り寄る性癖に通じているのだろうか。」と結ばれる。
橋下氏も、この延長線上にいる人物として見える。うまく敵を作り、その敵をやっつける正義の味方として自分を見せながら人気と権力を手に入れ、更に組織的な抑圧の装置(大阪府教育基本条例など)を作っていく。やることなすこと非常に暗い、と私は感じる。内部に、得体の知れない暗い情念がどろどろと渦巻いている、と思われる。その情念が、果たして性の歪みに基づくのかどうか・・・?野田氏が言うとおり、確かに、両者には「平気で人の心を踏みにじる」という共通点が存在する。
政治家の質は有権者の質を表す。橋下氏ひとりを悪者にして済む問題でもあるまい。
(補)そう言えば、昨日の新聞各紙は、やはり慰安婦や性に関する問題発言があったとして、同じ維新の会の西村慎吾衆議院議員が、党から除名処分を受けたことを伝えた。なぜ西村氏の発言は除名に値し、橋下氏のは不問に近いのかは理解に苦しむが、維新の会という非常に横暴で右翼がかった(と私には見える)政党でこのような問題が立て続けに起こることは、上の野田氏の指摘がますます真実味を帯びて感じられてくる。