問題は発言ではない、思想である。



 いかにも梅雨らしいしとしと雨の1日だった。今年は春以来好天続きで、まともに雨が降った日が非常に少ないので、幸い予定のない土曜日だったこともあって、いい雨だなぁと、落ち着いた風情を楽しむことができた。もっとも、あまりにも落ち着きすぎていて、ぼんやりと外を見ているととろとろと眠たくなってくる。富谷町で行われる予定だった少年野球の試合が中止になり、体育館練習も午前中で終わって、阪神×DeNa戦をテレビで見ている子供達の横で、3時間近くもうとうとしてしまった。こんな休日も幸せ。

 さて、一方、自民党勉強会での百田氏や若手議員とやらの発言はあまりにもひどい。あちこちで散々言われているので、今さら私が言うまでもないが、ふたつ、気になったことを書き留めておこう。

 ひとつは、表面化していることは、むしろたいした問題ではない、ということだ。沖縄の新聞をつぶせとか、広告を控えてメディアを兵糧攻めにしろとか、そんな直接的な攻撃は分かりやすい。国立大学に日の丸君が代を求めた先頃の首相や文科相発言と同様、命令を下さなくても、許認可権や財政を握っている政府は、容易に圧力を掛けられる。あうんの呼吸というか、日の丸君が代を式に持ち込まなければかくかくしかじかの不利益を与えますよ、などと言わなくても、許認可や補助金を出し渋りながら、それとなく相手に感づかせることは簡単であろう。つまり、今回のような露骨なことを言って騒動が起き、まずいと思えば、陰湿な作戦を考え出すに違いない(→参考記事)。お墨付きや補助金を喜んで、政府に甘える構造を作ってしまうと、結局は、その言いなりになるしかなくなってしまう。目前の利益で動くことは、常に危険だ。

 ふたつめは、そのことと関連するが、問題なのは言葉ではなく思想だ、ということである。木原青年局長の更迭他を発表した谷垣幹事長の言葉に、正確には記憶していないが、立場をわきまえ言葉に注意しなければならない、というようなものがあった。どうも、そのように考えることはかまわないが、言ってまずい(=党の不利益になる)ことは言うな、というようにしか聞こえなかった。しかし、今回のようなメディアへの牽制、いや、ほとんど恫喝と言ってよいようなことは、考えること自体が間違いである。「考え」というよりも、民主主義についての理解そのものが間違っているのである。自民党が本当に民主主義政党であるならば、党の指導者は、若手に対してその点についてこそ指導をしなければならない。処分するかどうかなんて二の次、三の次だ。議員は、考えているとおりのことを言ってくれなければ、選挙の時に判断が難しい。言ってはいけないことは考えてはいけないのであり、考えていることは言ってくれなければ困るのである。(この点で、私はかつて橋下徹氏をほめたことがある→こちら)。ホンネが水面下に潜ることは、選挙の時の判断材料を失うという点で、メディアが変質するのと同じ危険性を持つ。

 表向きはキレイゴトで発言し、裏では許認可権と補助金を利用して圧力を掛ける、そんな陰湿な政治を行わせてはいけない。その意味で、おそらくは考えている通りを言ったのであろう自民党の若手議員はむしろ立派である。本当に彼らを裁くのは、有権者であって自民党執行部ではない。彼らが、この次の選挙で相変わらず議員としての地位を得るとしたら、それは選挙民もしくは日本人の責任なのだから仕方があるまい。