書架の大整理



 今年の冬休みが長かったおかげで、いつもの年以上に「大掃除」や家・庭の手入に時間をかけた。とにかく物が溢れていること尋常ではない。「捨てる、捨てる、何もかも捨てるぞ!」と宣言したものの、何かにつけて「物を大切に」「使える物を捨てるのはもったいない」と騒ぐのは私である。先日、着ていたセーターがあまりにペラペラした感じだと妻に文句を言われ、ふと思い至ることがあって昔のアルバムを見たら、1983年にインドで撮った写真に同じセーターが写っていた。それ以上は遡れなかったが、インドに年代物のキスリング(帆布でできた旧式のザック)を背負って、新しいセーターを着ていくことは考えられないので、その時そのセーターは既に古びていただろう。

 私にとって、「持っていてもよい物」は本と録音(今やほとんどCD)だけである。我が家には、総延長80mを超える作り付けの書架がある。8年前に新築した際、当初120mにする予定だったが、実家の壁に当てはめてその大きさを想像しては、あまりの巨大さにためらいを感じ、80mに縮小したところ、新居に引っ越した瞬間にほぼ全てが埋まってしまった。その後も本は増え続ける。しかも、どんなにくだらない本でも、時間が経てば「史料」に変わることが分かっているので、どうしても捨てられない(2012年1月7日記事参照)。だが、必要性の高い本をあちこちに放置したまま、使う可能性の極めて低い本に書架を占拠させておくのは不都合だ。使わない本は、捨てないまでも、とりあえず2階で眠らせることとし、使用頻度の高そうな本を書架に置くことにした。

 勇気をふるってお蔵入りに決めた代表格は『二十四史』である。中国の「正史」と言われる格の高いもので、ほとんどはある王朝が滅んだ後に編集された歴史書である。『史記』から『明史』まで24種類あるので、『二十四史』と呼ばれる。周知のとおり、「正史」は紀伝体(個人の伝記の寄せ集めというスタイル)で書かれているため、索引を使用することで、人名辞典としての使い勝手がよい。大学で中国学を学んだ者として、この本をお蔵入りにすることは、自分自身のアイデンティティに関わる重大事に思われた。だからこそ、さんざんためらったのである。しかし、今や論文を書くために『二十四史』を引っ張り出すことはほとんど考えられないし、授業の予習やこの手の雑文のためなら、もっと簡略な手段でも用は足りる。そう思った時、『二十四史』は正に「無用の長物」か「部屋のインテリア」でしかなかった。多分この5年くらいは、一度も、一冊も手に取っていない。

 我が家にある『二十四史』は、中国で出版された標点本(句読点と注が付いている)を台湾(鼎文書局)で縮刷して合冊したという、いわゆる海賊版で、2500年以上の歴史を詳述した大部な書物の割にはコンパクトなのであるが、それでも、A4版、500〜1300ページ(1ページに中国版の4ページが縮刷されている)の本が合計24冊(『二十四史』と数字が一致するのは全くの偶然。一史=1冊ではない)、重量約50kgという途方もないものである。

 他にも、中国思想史関係の研究書のほとんどをお蔵入りとした。近年、現代史だけを読んでいる私には、やはり「無用の長物」と化していた。そんな中にあって、私はつい平岡武夫『経書の成立』(創文社、1983年)を書架に残した。昔も今も、私の専門からは非常に遠い本である。にもかかわらず、この本は見える所に置いておきたい、折あらば読み直してみたいと思わせる何かがあるのだ。

 こんな作業をいろいろな人が繰り返し、やがて「古典」は生まれる。書架はほんの少しだけすっきりした。