最大級の難問・・・子どもにお金をどう与えるか?



 長かったはずの冬休みも終わってしまった。世間のサラリーマンと同じく、私の今日から出勤。それでも、生徒の騒々しさがないし、過密なスケジュールに追い立てられないので、学校にいてもあまり疲れない。「生徒のいない学校なんてつまらない!」と言えるようだと、教師として格好いいのだが、残念ながら、年々そのような心性から遠離っている。

 冬休み中は、以前勤務したふたつの学校の部活OB会があったくらいで、いつになく何もしない休みだった。家族と過ごす時間はいいものだが、自分の勉強は何もできない。仕事ばかりしていると消耗するだけだとは言え、仕事のない日が長く続くと、仕事に復帰することがどんどん億劫になってくる。何でもほどほどでなければならない、ということなのだろう。

 12月31日大晦日の日中、妻の実家で恒例の「家族大集合」があった。義父母の元に子どもと孫が集まる。妻は3人姉妹なので、これが終わると、それぞれの夫の家に散っていく・・・というわけだ。会の最後は、義父母から子どもたちへの「クリスマスプレゼントとお年玉授与の儀」である。

 これは、人が我が子に何かを与える場面で唯一(←多分、本当に「唯一」。義父の娘である妻でもダメ)、私がはらはら心配しなくてよいものだ。プレゼントを買いに行くのは義父の役目らしいが、義父は大変偉い人で、孫は何を喜ぶかとまず第一に考えるのではなく、孫の年齢・性別・性格などを踏まえて、今この子に何を与えるのがよいか、という考え方をする。だから、子どもの欲望を刺激して無能にするような物、例えばピコピコゲームの類を義父が買ってくるなどということは絶対になく、私は安心して、いや、私自身がわくわくしながら見ていられるのである。今年、義父は、7人の孫に与えるものを選ぶのに2時間かけたらしい。過去にもらったもので、「ぐりとぐらかるた」「日本地図のパズル(正式な名称?)」など、子どもが喜び、かつ、いい勉強ができたものの多くは、義父がくれたものだ。

 今年、小3の娘には『おーい、ぽぽんた』(詩歌集)、5歳の息子には『動く図鑑 大自然のふしぎ』(DVD付き)が与えられた。子どもは子どもで、「な〜んだ、本か?」「こんな本つまんねぇ!」などという顔は絶対にしない。大喜びで、夜、布団の中にまで持って入って読んでいる。

 話は変わるようだが、年末に「みやぎ教育文化研究センター」という所から、1冊の冊子が届いた。昨年6月16日に行われた福田誠治氏の講演記録『いま、フィンランドの教育から学ぶものは何か』である。フィンランドの教育については、2年あまり前、このブログにも思う所を書いたことがあって(2011年10月26日〜11月10日、7回連載)、その際、福田氏の著作には大変お世話になった。だが、今回の冊子は、氏の多くの著作を凝縮した感のある優れたものであって、とても講演記録というライブ録音ばりのものとは思えない。

 それはともかく、その中に、フィンランドでは「18歳までゲームセンター立ち入り禁止」、「親は子どもにお金を持たせない。子どもはお金を持っていないので、子ども向けの商売は成り立たない」という記述があって、さすがだな、と思った。後者は続けて、「お金がないからみんな助け合って貧乏暮らしをしている」とあるので、ここだけ読めば、親が子どもにお金を持たせないのは、持たせないのではなく持たせられないのだ、それほどフィンランドは貧乏なのだ、と読めてしまうが、1人あたりGDPで日本(世界で12位)と1000ドル余りしか違わないフィンランド(同18位)が、子どもにお金を持たせられないほど貧乏なわけはない。そこには、子どもを商売の道具にしない、お金を与えれば子どもは健全に成長しない、という思想があるに違いないのである。私が以前からよく言う、「欲があるから持つのではなく、持つから欲が生まれる」という考え方からすれば、なるほど、子どもにお金を持たせて、わざわざ早い時期から変な欲望を目覚めさせる必要はないな、と思う。

 こう考える時、その対論として思い浮かぶのは、純粋培養はよくない、生涯お金を使わずに生きていくなどということが不可能である以上、むしろ、健全なお金の使い方を学ばせたり、一見無駄遣いも含めて、試行錯誤させたりすることは意味のあることだ、という考え方である。これはこれで、理なき考え方とは言えない。

 子どもたちは、義父からお年玉をもらい、翌元日には私の母からもお年玉をもらった。1000円以上のお金は私が預かって子どもの口座に預金、というのが今のところのルールで、子どもも特に不満を述べたりはしないのであるが、それが限界になるのは時間の問題のような気がする。人はいつお金と出会い、どのように付き合っていけばよいのか、その価値(100円で買える物には100円の価値があるというのは大間違い。例えば、昨年6月15日のこのブログの記事参照)や使い方を子どもにどのように教えていけばよいのか・・・?。日本の社会がフィンランドのようにはなっていない、むしろ正反対の方向を向いているだけに、我が子にだけ社会と違う価値観を求めるにも限度がある。それは私にとっても最大級の身近な難問だ。