Sinfonia Grande



 昨日は、トヨタ・マスタープレイヤーズ・ウィーンの演奏会に行った。昨年もこの団体については書いた(←2013年3月31日)。ウィーンフィルメンバーを中心としていて、毎回、極上のアンサンブルを聴かせてくれるスーパー室内管弦楽団だ。しかも、「トヨタ」のおかげで仙台フィル以下の料金である。加えて、今年のメインプログラムは、私にとっても思い入れ並々ではない人類の文化遺産、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」である(←このブログの2011年10月23日記事参照)。おそらく、今年最高の音楽イベントになるだろうと、胸ときめかせて仙台に行った。

 プログラムは、「セビリヤの理髪師」序曲、クロンマー「二つのクラリネットのための協奏曲」(独奏はP・シュミードルと吉田誠)、R・シュトラウス「バラの騎士」のワルツ(プルジホダ/コヴァーチ編曲、Vn独奏はV・シュトイデ)そして、「英雄」である。メンバーは31名で、今年は、ベルリンフィルの団員が昨年より1名増えて2名(元を含む。以下同じ)になっている。ちなみにウィーンフィルメンバーは12名、ウィーン国立歌劇場が6名(客員含む)、他はウィーンフォルクスオーパー3名、ウィーン交響楽団5名、その他が3名(フリー、チューリッヒ歌劇場、カメラータ・ザルツブルグ)である。

 昨年と同様、冒頭で献奏(カザルス「鳥の歌」←このブログ2012年4月9日記事参照)と黙祷が行われ、その後が本当の演奏会である。クロンマーの協奏曲は、とても楽しい曲で、これは「英雄」へ向けて盛り上がっていくぞ、と思っていたところ、「英雄」は期待外れだった。このアンサンブル(とは言ってもメンバー固定ではないけど・・・)の演奏会で、メインプログラムを「夢中になって聴く」という状態になれなかったのは初めてかも知れない。

 演奏が決して悪かったわけではない。音も美しく、アンサンブルにもほころびはない。なかなかの熱演だった。では、何が悪かったのかというと、つまるところ31名で「英雄」は演奏できない、ということなのだ。楽譜どおりの2管編成(ホルンだけ3本)はいいとして、弦楽が第1ヴァイオリン5、第2が4、ヴィオラ、チェロ各3、コントラバス2というのは小さすぎる。昨年、ベートーベンの第7番で、何の違和感もなかったこの編成が、今年はひどく物足りなかった。ちなみに、どちらかというと小編成で演奏されることの多いピリオド楽器のオーケストラでも、ガーディナーのCD(彼のベートーベン交響曲全集は、演奏に参加したメンバーが曲毎に全て書いてある)では、この曲の第1ヴァイオリンに12名、第2が10名、ヴィオラ8名、チェロ6名、コントラバス4名と、現代オーケストラに近い人数を配している。

 ベートーベン自身の筆跡ではないが、「英雄」自筆譜の表紙には、冒頭に「Sinfonia Grande」と書かれているらしい。「Grande」は、おそらく、当時としては破格と言うべきこの曲の長さについての表現なのだろうが、私としては、内容的な豊かさ、風格、そして必要とする編成といったあらゆることについての「Grande」だと思われてならない。昨夜は、そのことを改めて感じさせられたわけだ。この曲の雄渾壮大な響きと圧倒的な存在感は、ウィーンの練達の楽士でさえも、それなりの人数でなければどうしても表現できないのである。

 この曲の後のアンコールには何がふさわしいのだろう?と思っていたところ、演奏されたのは「皇帝円舞曲」であった。これは絶品。「十八番(おはこ)」とは正にこのようなものを言うのだ。「皇帝円舞曲」はJ・シュトラウス2世の曲であり、ウィーンの文化であることを超えて、彼ら自身であった。