価値は現在形であるべき・・・世界遺産考



 富岡製糸場世界遺産に登録される見通しになった。私は、一昨年、富岡製糸場を訪ねて若干の感想を書いたことがある(→2012年11月27日)。かつて門脇小学校を震災遺構にすることについて書いたとおり(→2013年7月4日)、私は、役割を終えたものは潔くなくなればよい、というのが基本的立場である。やたらと物を残したがる昨今の風潮には、とても批判的だ。富岡製糸場についても、基本的には同様の考えだ。しかも、世界遺産への登録には、観光資源としての期待、もう少し露骨に言えば、商魂が見え見えなので、どうしても素直になれない。文化財として保存するということと、「世界遺産」登録は必ずしも同じではないはずだ。本当の価値に対する畏敬よりは、「世界遺産」の看板の魅力の方が大きいということがあるとすれば、それは貧しい。(この点では、操業を止めた後、18年にもわたり、年に1億円もかけて富岡製糸場を維持してきたという片倉工業は立派である。)

 現在、世界遺産に登録されている日本の文化遺産の中で、私が訪ねたことがあるものに限って言えば、残すべきだと思うのは姫路城と法隆寺、奈良・京都の文化財くらいだ。これらとて、歴史的価値に注目して残すべきだと思うのではなく、芸術品として今に生きる価値があると思うから残すべきだと思うのである。その意味で、それらは現役だ。

 そういえば、おととし、修学旅行で法隆寺を訪ねた。10年ぶりくらいであった。相変わらず繊細に美しいもので、私の眼には工芸品と見えた。ところが、五重塔の各層の欄干が新しいものに付け替えられていた。優れた、しかも創建当時と同様の技術を用いて作られたものであろうが、あの1300年にもわたって雨風に耐えてきた木の風合いと、新しい檜の欄干はどうにも不似合いだった。部材の角が取れたことから来る全体的な線の柔らかさも、後付けの欄干にはなく、その点でも不調和だった。数十年も経てば、色が変わって違和感も少なくなるのかも知れないが、今はダメである。

 木造建築というものは、どんな修理でも改造でも可能だという話を、あるリフォーム屋さんから聞いたことがある。確かにそうなのだろう。法隆寺も永遠の命を持つわけではない。後から後から小さな修理をするだけでは追いつかず、今回のようなパーツの取り替えが必要になってくるはずだ。姫路城だって、昭和以降の二度の大修理で、心柱まで含めて、多くの部材が交換されている。その場合、どこまでであれば、元々の法隆寺や姫路城が保存されていることになるのだろう?高度な技術で修理が行われれば、新築同様になってしまっても「世界遺産」としての価値はあるのだろうか?

 今までにも何度か書いたとおり、古い物がいいのではなく、いい物しか古くなれない。その意味で、「古さ」は『Nature』以上に信頼すべき「権威(お墨付き)」である。外観や構造などに関する、古くなることのできた要素が保存されていれば、部材が新しくなっても、おそらく価値は減じない。それが、いいものしか古くなれず、古くても現役であることの帰結である。

 富岡製糸場は、ユネスコによっても、その建築物の現在に生きる価値ではなく、「歴史的な価値」を評価されているようだ。気の毒だが、これでは古文書や化石と変わりがない。私の評価は変わらない。