メーデー



 昨日は遠足だった。学校から12キロ、石巻専修大学にほど近い「トヤケ森山(通称:馬っこ山)」まで歩く予定であった。「あった」と書いたのは、もちろん予定が予定通り実行されなかったからである。どうせ授業に切り替えるといったって、生徒はまったくその気などなく、大変辛いグダグダ状態が予想されたので、少々雨が降っても行くぞ、と言って歩き始め、40ほど歩いた所で、雨が音を立て始めたので、断念して帰校した。雨が降ることが分かっていても、傘もカッパも持って来ない生徒が多く、彼らは全身びしょ濡れ。3時間目から授業をしよう(せざるを得ない)という話もあったが、教頭から、放課にしてよいとのお達しが出て、解散となった。喜んだのは生徒だけではなく、教員もである。もっとも、年休を取って帰れる!などと思った人はおらず、溜まった事務処理のためのいい1日だ、という哀しい喜びだ。

 私も勤務時間いっぱいお仕事に専念し、5時にそそくさと学校を出ると、石巻駅前で行われた地方労連系のメーデー集会に参加した。この頃には、きれいな青空が広がり、爽やかな5月の夕暮れとなっていた。

 集まったのは50人くらい。高校教員は私一人である。ただ、私も実は前回参加したのがいつだったか記憶にないほど久しぶりの参加であった。決して意識の高い「労働者」とは言えない。だが、この日が「メーデー」であり、それが労働者の祭典であるということを覚えている教員、自分が「労働者」の一員であるという自覚のある教員が、一体どれほどいるかというと、まぁ、限りなくゼロに近いであろうから、それを思うと「労働者」の自覚は多少強い。もっとも、私がこの日久しぶりで参加したのは、高教組(こうきょうそ=宮城県高等学校・障害児学校教職員組合)から誰か来て、集会で挨拶をして欲しいと頼まれたが、誰も出てくれそうにないので、事務局として責任を取って出掛けて行った、というだけの話である。

 私が数分遅れて会場に着くと、ある参加者が、「いやぁ、今年は高教組が来てけていがったぁ。いつもさっぱり来てけねんだおん・・・」と喜んで下さる。私一人が参加したことで、「高教組が来てくれた」は語弊がある。単に「平居が来た」だけなのである。もはやそれは組織としての体を為していない。

 短い「挨拶」をすると、デモ行進には参加せず、遠足日恒例、学年単位での酒席に駆け付けた。こちらも5人と低調である。酒を呑みながら、10年、20年で学校もずいぶん変わったという話になり、システムや生徒の質から、教員の待遇面へと話が流れていった。春のボーナスが無くなり、寒冷地手当が無くなり・・・みたいな話を、ある教員がグチっぽく話すので、「あんたたちが組合に入らないからこうなるだけじゃないか。文句を言う権利なんかあるものか!」と一喝した。

 本心ではあるが、本気ではない。日本人の生活の尋常ならざる豊かさ、贅沢さを「変だ」と感じている私としては、教員の待遇なんて、今でも十二分によすぎると思っている。労働組合員でありながら、「よりよい待遇を勝ち取る」という労働組合の原点のような活動に対して、私は非常に冷めている。不合理な理由で給与等が下がることには不愉快を感じる時もあるが、基本的にはどうでもいいのである。私の問題意識は常に「戦争の教訓」、すなわち教育の国家統制をどう阻止するか、学校を政府の宣伝塔にすることなく、本物の民主主義をどう実現させるか、だけなのだ。