すっきりしない脳ドック



 8月6日の午後、仙台東脳神経外科という所に、「脳ドック」というのを受けに行ってきた。生まれて初めてである。頭が痛いとか、視野が狭くなったといった特別な異常があったわけではない。職場検診のオプションで、3年に1回くらい、脳ドックやら人間ドックやらを優先的に廉価で受けられる。今年は優先の該当年齢に当たっていたので、1度行ってみようかと思っただけである。

 宮水に勤務するようになってから、20代半ばの同僚と2年生の男子生徒が、相次いで脳溢血で倒れるという出来事があった。前任校でも、30代前半の同僚がくも膜下出血で亡くなった。そのような若い世代が脳溢血を発症する場合、血管奇形が関係する場合が圧倒的に多いらしい。宮水での2件もそうであった。私はもう50代なので、彼らとはいささか事情が違うが、父が脳溢血で倒れたこともあるし、脳内に血管奇形があるのかどうかくらいは、確かめておいた方がいいのかな、と思った。加えて、この数年の物忘れのひどさは尋常でない。脳が萎縮しているか、「す」が入っているかに違いない、とも思った。

 ふと考え込んでしまったのは、申し込んでから数週間が経ち、脳ドックが当たった(?)という通知が来てからであった。血管の奇形が発見されたとして、何の自覚症状もないのに、開頭手術を受ける決断をするのは難しいな、かといって、そのまま放置するのは非常に不安だ、物忘れについても、脳が萎縮していると言われたところで、直す方法があるのならまだしも、どうにもできないのだったら、補助が出るとは言ってもそれなりのお金を払ってまで、そんなことを知って何になるのかな、「気のせい」ではないと、現実を露骨に突き付けられるだけのことだな・・・といった葛藤で悶々とし始めたのである。

 ともかく、行くことになってしまったので行った。問診票と6000円だかを受付に出すと、MRI室の前に書類を出して待つように言われた。MRIも初めてである。10分ほど待つと呼ばれて、レントゲンやCTを撮る時と同じように作業は進み、15分も掛からないくらいの時間で終了した。MRIは「ガンガンガンガン」と音がうるさいよ、と聞かされていたが、たいしたことはなかった。医師の診察があるのかと思っていたが、なかった。尋ねてみると、「問診票を出していただいたので必要ありません」と言われた。学校で進路希望調査をしても、書かれたことについて詳しく事情を聞いておきたいことが出て来て、調査用紙を前にしながら面談しなければならなくなるのに、簡単な問診票だけで、医師が私の状態を把握できるというのは信じ難かった。なんだか、ひどく「商売」のにおいがした。「商売」であれば、コストは掛けない方がもうけが大きい。

 さて、8月6日の脳ドックのことを今日書いたのは、結果が返って来たからである。血管奇形の有無が分かると思っていたのに、「頭部MRI所見(脳の形態を観察する撮影方法で、脳梗塞や脳腫瘍などの診断が可能です)」とだけ書いてある。見れば、血管については「MRA」という別の検査が必要らしい。これまた、だまされた気分だ。以下の所に☑が付いていた。

 「今回の画像検査上異常所見は指摘されません」

 「《総合評価》A 特に問題ありません」

 封筒の中には、私の頭部の輪切り写真12枚をB5版1枚にプリントしたものも入っていたが、こちらは気味が悪いだけで、何にも分からない。

 まあ、問題はないに越したことはないので、めでたい結果なのだが、これほど物忘れがひどくても、脳の形態というのは変わらないものなんだなぁ、という感慨も大きかった。昨年、別な病院で受けた同い年の友人は、「軽微な所見が認められますが、年齢相応と考えられます」に☑が入っていて、「軽微な所見」の下に「少し脳が縮みかけています」と走り書きしてあったらしいから、それと比べても立派なものである。

 しかし、血管奇形の有無を確かめるという当初の目的は果たされず、いくら「異常なし」でも、ひどい物忘れは改善の糸口が見えないわけだから、なんとも釈然としないのであった。