謹賀新年  2017年元旦

謹賀新年  2017年元旦

 お元気でよい新年をお迎えのことと存じます。
 おかげさまで、家族一同元気に過ごしております。
 水産高校も7年目。教科指導の難しさに頭を抱えつつ、就職担当者として、多少なりとも日本の水産・海運業に貢献出来れば、という思いで仕事をしています。
 一方、社会を見れば、環境問題もなんのその。欲望を満たすことこそが「善」、経済成長こそが「豊かさ」という思想は、弱まる気配がありません。加えて、感覚的な文化やスマホの濫用、大人による子供の囲い込み・・・これらによって急加速する幼稚化と低能化。人間全体がガラガラと内部崩壊を起こしているようです。
 まじめに考えれば、ことごとく世間と逆になるというストレスの中で、いかにして自然や歴史に対して不善を為さずに生きていけるか。いかにして自分のフィールドを確保し、展望を見出していけるか。そんな問題意識を持ちながら生きています(暗い!!)。
 本年もよろしくお願いします。ますますお元気で。


 今年の年賀状は以上の通り。例によって、この後ろに自筆書き込みを2〜3行加えている。この他に、2つのバージョンがある。一つは、妻が作った写真入りのファミリーバージョン。もう一つは、仕事仕様(会社向け)である。当然、そちらは「よそ行き」なので、暗さが漂わないようにしてある。
 この2〜3年、最後に年賀はがきが余るので、今年は我が家としての購入枚数を70枚減らした。なぜ年賀状が減るかという理由は、立派な社会問題であるような気がする。年賀状の減少は、宛先の高齢化=単に私が年を取ったという問題ではない。比較的最近付き合い始めた人たちには、メールアドレスしか知らない、という人が多いのだ。
 何でもメールに頼るということもあるし、「個人情報」とか「プライバシー」とか言って、個人の住所が書かれたものを目にする機会がとても減った、ということもある。かつては、『宮城県教職員関係録』という誰でも購入可能な名簿に、宮城県内の全ての教員と教育行政関係者の個人住所まで載っていたのに、今や、住所はおろか、担当教科すら載せていない学校まであるほどだ。高校の卒業アルバムも、かつては巻末に全卒業生と教職員の住所、電話番号が載っていたのに、今はおそらくほとんど(全て?)の学校で、そんなページをなくしてしまった。ラインやフェイスブックを始めとするSNSによる「つながりすぎ」が問題視される一方で、郵便や普通の電話によるコミュニケーションは、むしろ減少し、確保しにくくなっている。そしてこの状況も、SNSに頼り過ぎるだけでなく、それらによって情報がどのように拡散され扱われるか分からないという不安に発しているとすれば、コミュニケーションの根っこはインターネットに支配されていることになる。
 かく言う私も、その恩恵には大いにあずかっているのだけれど、人間と人間のコミュニケーションがデジタルというのはやはり寂しいし、原点や本質に反する困ったことなのではないかと思う。安易にメールに頼らず、思いを伝えながら住所や電話番号を聞くということもせねば・・・。