激烈!!!

 この2日ほど、激しい腰痛で苦しんでいた。20才くらいから数年に一度くらいのペースで、腰痛には悩まされているが、大きな波と小さな波というのがあって、今回は大きな波だった。5年ぶりだろうか?椅子にじっと座っているのもつらく、横になっても寝返りが打てない。真っ直ぐ立ちっぱなしというのが一番楽なのだが、そうもいかないので椅子に座ると、立ち上がることが難しい上、その後数分間は、腰の曲がったよぼよぼの老人状態で、壁に伝い歩きである。自転車はあきらめ、久々に車で通勤することにしたのだが、乗り降りがまた大仕事だ。風邪を引いておらず、咳が出なかったことは幸いだった。咳の衝撃はそれこそ激烈だから。もちろん生徒は大喜び。2〜3、優しい女子生徒が「平居先生大丈夫ですかぁ?」と声をかけてくれたくらいかな?
 前回の大きな波の時に病院に行き、レントゲン検査までしたが、異常はなく、経年劣化と言われた(→その時の記事)。しばらく前のなんとか新聞(失念)には、日本人の腰痛の多くが原因不明で、精神的な事情もあるようだ、と書かれていたと記憶する。果たして、今回の腰痛の引き金になったのは何なのだろうか?
 先週木曜日、高校入試(前期選抜)の採点が午前中で終わると、私は非常に珍しく、車で仙台に行った。東北大学に寄った後、青葉山の上にある宮城教育大学の某先生を訪ねた。雪が降り始めていた。5時半に用事が済んだ時には、車の上に雪が3㎝ほど積もっていた。降りしきる雪で見通しがきかず、車の運転に不安を感じながら、東松島市の矢本まで帰ってくると、雪はほとんど止み、路面の状態もよくなった。石巻はいいなぁ、と改めて思った。
 翌日、うっすらと雪の残る中、例によって自転車で学校に向かった。路面はところどころ凍っていたので、一応慎重に、スピードを落として運転していた。ところが、学校までの中間点に近いある場所で、緩く左に曲がろうとしたところ、前輪が滑り、勢いよく転んでしまった。まったく予期せぬ一瞬のことだった。「スッテーンと転んだ」という形容が非常に的確。足をつこうとしたのか、手をつこうとしたのかも憶えていない。ついたとしても、足が滑り、手も滑って、結局そのまま転んだだろう。転んだ直後、最もダメージを感じたのはあごだった。決して運動神経が人並み以下ではないつもりなので、あごを路面に打ち付けたというのは異常事態である。立ち上がろうとして痛んだのは左膝であった。信号で止まっていた車の人たちに見られて格好が悪いなぁ、という気持ちも強く、あわてて飛び散った荷物を拾い集めて、何食わぬ顔で自転車に乗り、そのまま学校に着いたところ、職員玄関で会ったM先生が、「平居先生!一体どうしたんですか?」と大げさに驚く。M先生が、あごを指さすので、手袋を外して触ってみると、血がべっとりとついた。怪我に驚くというよりも、これで生徒のいい物笑いのネタだな、ということの方が先に思い浮かぶのは哀しい。この後、あごと左膝のみならず、あちらこちらの痛みが意識されるようになってきた。そして、絶対に直接はぶつけていないはずの腰も、まるでその他の箇所に便乗するかのように・・・。
 もう一つ。最近、昨年来書いていた中国史の論文が一本完成して、やれやれと一息ついていた。ああでもないこうでもないと頭を悩まし、推敲に推敲を重ねたので、これでもう大丈夫、と確信し、大学に提出することにしたのである。ところが、いざ提出という段になって、何気なくぱらぱらと見直してみたら、一寸した間違いが目に止まった。え!?まさか・・・と思って、もう少し丁寧に見直してみたところ、出るわ出るわ。今までの熟慮と推敲は何だったの?と思うほどたくさんの間違いを発見してしまった。大小取り混ぜ20箇所以上。やれやれという安心は、一気に激しい屈辱感と挫折感とに変わり、手直し作業に追われることになった。まだ終わらん。このストレスは、果たして腰に悪影響を及ぼさなかったかどうか・・・?
 というわけで、この数日は何らいいことのない「谷」であった。人生山あり谷あり。次に大きな山が来る前兆だといいのだけれど・・・。今日学校で「腰痛のプロ」(笑)からもらった強力な鎮痛効果があるという湿布薬を腰に貼ってから、確かに少し楽になってきて、こんなくだらないことでも字にしてみようかという気になった。