雪の高野山

 高級宿坊にぶつぶつ言いながら、すったもんだの末、民宿を見つけて予約をした。安いビジネスホテルの料金で、新しくおしゃれなペンション風。暖房がエアコンだけの上、天井が高いのでなかなか部屋が暖まらないのが玉に瑕だったが、オーナーの人柄もあって、快適な夜を過ごすことが出来た。
 朝になると、雪は更に5㎝ほど積もっていた。のべ10㎝あまりといったところか。まだチラチラと降っている。それでも、天気予報通りの寒波が到来し、ニュースでは彦根で積雪が68㎝に達したことを繰り返し報道していたから、標高850mの高野山としては、十分に穏やかだったと言うべきだろう。
 7時半から行動開始。拝観可能な寺院はまだ開いていない時間だったので、壇上伽藍を通って、まずは奥の院を目指す。雪は強くなったり弱くなったりを繰り返す。途中、苅萱堂では太鼓と読経の音が聞こえて、宗教的な気分が盛り上がった。
 一の橋からたくさんの墓石が並ぶ中、弘法大師が眠る御廟まで歩くのが、高野山でのハイライトになるはずであったが、一の橋に着いてみると、通行止めになっていてロープまで張られている。積雪による措置なのだろう。残念だが、あきらめて奥の院前バス停から燈籠堂・御廟を目指した。雪が積もり、踏み跡も多くないので、歩きにくいが、足が雪まみれになって濡れてくる、というほどでもない。御廟まで行き着くことが出来た。高野杉の巨木が立ち並ぶ素晴らしい道で、人が少ないのもよかった。
 引き返して金剛三昧院を訪ねる。多宝塔(国宝)がある。壇上伽藍にある根本大塔や西塔にしても、金剛三昧院の多宝塔にしても、高野山の仏塔は2層で、下層が正方形、上層が円形をしているものが多い。これは非常に特徴的だ。ただし、木組みは基本が正方形なので、屋根を支える垂木は四方に向かっていて、放射状に伸びていたりはしない。その辺が、注意深く構造を見ている人間には面白いところだ。しかも、上層が円形とは言っても、その円は、正方形である場合の外接円になっているようで、正方形の場合よりも遥かに細く見える。元々、日本の建築物は軒の深さに特徴があるのだが、高野山の仏塔上層はその特徴を極めた感じだ。特に金剛三昧院の多宝塔はくびれが大きく感じられた。
 金剛峯寺に行く。昨年の春頃だったか、NHK特集か日曜美術館かで、千住博金剛峯寺の襖絵を描く過程の記録映像を見た。墨で滝をあしらった意匠の絵だ。見事なものだな、だけど、この絵は金剛峯寺の奥深くにあって、一般客が見られたりはしないのだろうな、などと思っていた。行ってみると、この絵が見られるではないか。しかし、テレビで見たときのような感動はなかった。非常に地味で変化に乏しく、一見、滝が描かれているようにも見えない。日本最大の石庭とかいう「蟠龍庭」も、雪が積もっていては、何が何だか分からなかった。
 霊宝館(博物館)に行く。この頃になると、寒さがかなり身にしみてきていた。雪は相変わらず降り続いているし、寺にしても、霊宝館にしても、一切暖房されていない。手袋をしていても指先は感覚がなくなりつつあった。高野山見物はここでおしまい、ということにした。
 それにしても、拝観料、入場料は高い。橋本駅で「高野山世界遺産きっぷ」という切符を買ったため、入場料は2割引になることになっていたのだが、それでも、金剛峯寺は800円、霊宝館は1040円、合わせて1840円もする。正規料金なら2300円だ。高野山宿坊協会というところに行けば、それら2箇所に加えて徳川家霊台、根本大塔、金堂、大師教会にも入れる共通入場券が1500円で買えるという話は耳にしたが、本当かどうかは知らない。協会が開いている時間に行くのも難しかったし、2割引なら大差あるまいと、入手しなかった。本当に1500円の共通券があるとしたら、その割引率は尋常でない。なんだか変だ。
 法隆寺でも入場料は高いなぁと思ったが、それでも西院伽藍、東院伽藍、大宝蔵院の共通入場券が1500円である。そこには国宝の中の国宝がずらり勢揃いだ。一方、高野山で見ることができた国宝は数件だけ。奈良の諸寺にあった仏像と比べると、少なからず見劣りがする。どう考えても高野山は高すぎる。そう思ったとき、私の頭に浮かんできたのは、昨日書いた高級な「宿坊ホテル」のことであった。
 高野山の寺院がどのようにして収入を得ているのかは知らないし(寺院だけで自足しているような町で、本当にどうやって収入を得ているのだろう?)、私達は「参拝者」ではなく物見遊山の「観光客」なので、大金を取ることが信仰を妨げることにもならない。それでも、である。どうしても、高野山は欲深く、「俗」に見えるのであった。
 それはともかく、自らの信仰・修行の場として高野山を発見した空海は偉大である。今でこそ、鉄道も立派な道路も通じて、下界と違わない生活が出来るようになっているが、空海がこの地を本拠地として定めた頃は、本当に人里から隔絶された深山であっただろう。誰がこんな所に、広くて水の入手が容易な平坦地があると思うだろうか。空海はそこで修行を続け、高い志を持つ弟子に教えを授け、やがては、その遺徳を慕う人々が墓を作るようになった。
 「高野七口」と言って、麓から高野山に至る昔からの道が7本ある。廃れることなく整備されていて、けっこう詳細なパンフレットも容易に手に入る。次行く時は、もう少しいい季節に、この古道を歩いて高野山入りしたいものだ。そうすれば有難味も多少は増すだろうか?いや、そこで「高野山カルテル」が待ち構えていれば、俗臭がかえって鼻につくだろうか?