和歌山電鐵

 最初に書いたとおり、高野山を早く下りたおかげで、和歌山で時間が出来た。一応「乗り鉄」の私は、元々、和歌山電鉄(正式には和歌山電鐵)に乗りたいと思っていて、どうやって時間を工面するかに頭を悩ませていたのだが、この日の明るい時間のうちに「乗り鉄」しに行くことが可能になった。
 和歌山電鉄は、14.3㎞、和歌山駅を含めて全14駅のローカル私鉄である。あえて言えば、猫駅長がいることで有名。終点の貴志駅には「ニタマ」、本社がある伊太祈曽駅には「よんたま」という猫がいる。いや、「猫がいる」は正しくない。正確には「いることになっている」。私は見なかった。もっとも、探しもしなかった。何とかして人の目をこの零細な私鉄に引きつけようという涙ぐましいパフォーマンスに過ぎないのが見え見えだからだ。そもそも、猫が1箇所にじっとしていられるわけがないではないか。猫駅長がいない時の代替措置かどうかは知らないが、貴志駅は、駅舎自体が猫の頭部の格好をしている。
 経営は相当厳しいのだろう。幾つかの駅に、「貴志川線の未来を“つくる”会」が提供しているらしい「もっと!ずっと!貴志川線」という横断幕が掲げられていた。猫駅長はその延長線上におはしますわけだ。
 さて、橋本から和歌山線和歌山駅に着き、ホテルに荷物を預けると、家族を和歌山城へ向かわせ、私は和歌山電鉄のホームを目指した。和歌山電鉄は、路線を一本しか持っていないのに、なぜ「貴志川線」などという名称が付けられているかと言えば、昔は南海電鉄の一支線だったからである。
 15:30の電車に乗る。これまた客寄せのために、ひどく凝ったデザインの電車を運行していることは知っていたが、私が乗ったのは「うめ星電車」で、驚くほど繊細、雅で高級感のある内装が施されている。沿線はまずまず期待どおり。平凡な都市郊外の風景ではあるが、自然の豊かさのシンボル、たわわに実ったミカンの木がたくさんという、いかにも和歌山県らしいのどかな風景が続く。和歌山を出た時は、2両編成の列車に乗客が20人以上乗っていたが、貴志に着いた時には4人だった。もっとも、今の日本で空いている列車は珍しくないから、さほど違和感は感じなかった。
 平凡な「乗り鉄」としては、とにかく終点まで行って引き返せればいいのだが、帰りにどこかで途中下車して、一本後の電車で帰っても、まだ明るいうちに帰り着けると思ったので、本社と車庫のある伊太祈曽(いだきそ)で下りてみることにした。次の電車までは32分だ。
 せっかくなので、近くにあるらしい伊太祈曽神社に行く。駅は「伊太祈曽(いだきそ)」だが、神社は「伊太祁曽(いたきそ)」らしい。「祈」の字体と読み方が違う。読み方は不思議だが、字体については、南海電鉄時代には「祁」が使われていたのを、現代流に改めたということなので、さしたる意味はない。「いだきそ」とは、ずいぶん変わった地名だが、これまたその由緒来歴は見つけられていない。
 「紀伊国一ノ宮」だというから、「陸奥国一ノ宮」である塩釜神社に日参している私としては、比較の上でも興味を引かれた。確かに立派な神社ではあるが、塩釜神社には比べるべくもない。やはり、塩釜神社は偉大だ。
 伊太祈曽駅周辺の田舎道をぐるっと散歩して、駅に戻る。駅でもらった「伊太祈曽周辺ご案内」というパンフレットを見ると、駅から伊太祁曽神社に続く道はなんと熊野古道の一部らしい。他にも、のんびりと散歩をしたら気持ちよさそうな道がたくさんある。「乗り鉄」もいいが、散歩もいい。特別な観光地ではなく、知らない土地で小さな発見を重ねる。そんな旅行も楽しい。
 和歌山駅には17:17に着いた。最後に乗った電車は、外面に動物愛護団体の宣伝がペイントされた、何の変哲もないただの電車だった。