「第9」と「フィンランディア」



 昨日は、学校を早めに脱出し、娘と一緒に仙台に行った。東北文化学園大学という所が主催するベートーベン第9交響曲の無料入場券を入手したからである。「第9」を聴きに行ったのは、10年ぶりとなる。もちろん、このブログでも何度か書いたとおり、私もベートーベンを真に偉大な作曲家と尊崇しているのであるが、「第9」は年末の恒例行事と化してしまい、なんだかありふれた感じがして、新鮮な意識を持って聴くことが難しくなっていた。ところがどうして、昨日の演奏などを聴いていると、この曲はやはり偉大であるが上にも偉大な名曲であり、しかも、いかにもベートーベンらしい純情素朴な雰囲気に満ちている。今更ながらに感動を覚えた。

 指揮をしたのは篠粼靖男という人である。私は初めて。全然知らない人だったのだが、45歳で、10年ほど前にロサンゼルスフィルのアシスタントコンダクターを務め、今はロンドンに住んで、フィンランドのキュミ・シンフォニエッタという地方オーケストラの芸術監督をしているという、それなりのキャリアのある人である。言葉は悪いが、非常に下品な棒を振る。絶えず大きな鼻息を吐きながら、足を踏みならし、オーバーアクションで棒を振り回す。鼻息は、オーケストラ(仙台フィル)がフォルテで鳴っている時でも聞こえるほどである。ところが、音楽は決して悪くない。オーケストラはあまり鳴らないが、全体を通して少し早めのテンポで、奇を衒わない自然な心地よい音楽を作り出す。プロオーケストラの水準の高さと、東北文化学園大学生を中心とするアマチュア合唱団の素人らしい熱気もあって、とてもよい「第9」を聴かせてもらえた。

 「第9」の前には、シベリウスの『フィンランディア』が演奏された。もちろん、指揮者がフィンランドで活動している人だからの選曲であろう。フィンランドでは第2の国歌として愛されているらしいが、私は、とても北欧らしい情緒を認めつつ、この曲を構成するいくつかのパーツが、今ひとつ統一され切っておらず、多少支離滅裂な感じがして「名曲」と評価することにはためらいがある。十八番の演奏でも、その印象は変わらなかった。

 ところで、これほど有名な曲でも、私が実演で聴いたのは、高校時代以来で多分3回目に過ぎない。シベリウスの曲全体でも、交響曲第2番をやはり3回聴いたことがある他は、バイオリン協奏曲や2番以外の3つか4つの交響曲を各1回といったところである。それでも、録音というものがあるおかげで、シベリウスの全体的なイメージを持つことができ、その中で『フィンランディア』の位置を意識しながら聴くことができるわけだが、さて、録音がなかったら・・・?昔の人は、どのような音楽の聴き方をしていたのだろう?私が「3回目」ということを意識した瞬間、ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。

 「第9」の後、指揮者が作った歌詞で、アカペラによりホルストの『木星』が唱われた(『木星』のメロディーを使って、指揮者作詞の歌が唱われた、と言った方が正しいかも・・・)。これはまったくの蛇足。「第9」の後には何も要らない。