危険なのは右ではない、極左だ・・・震災3周年によせて



 卒業式以来、ずっと体調が優れなかった。緊張の糸が切れたのだろう。逆に言えば、それ以前は、よほど肩に力の入った生活をしていたのだろうと思う。昨日は、遂に学校を休んだ。風邪気味に加え、腰痛が急激に悪化したのだ。今日は、高校入試の合否判定会議があったので、午前中、マスクをし、這うようにして学校へ行った。3年生担当であるおかげで、どうしても今日でなければならない仕事は午前中で終わったため、他の仕事は先送りとし、休みを取ってせかせかと自宅に帰ってきた。それ以上学校にいるのが辛かったからというだけではない。今日は震災3周年なので、14:46を目がけて渋滞が発生するかも知れない、帰るなら早いうちに、と思ったからだ。

 騒々しいのは嫌いだし、震災後のドタバタなんてみんな茶番であり、ただの社会現象だと思っているので、さっさと寝てしまおうとも思ったが、「怖い物見たさ」の好奇心がうずいてきたので、一応、14:46までは起きていた。何しろ、我が家からは、最も有名な被災地のひとつ「門脇・南浜」地区が一望できるのである。

 なんだかんだ言っても、やはり「平日」なのだろう。思ったほど人は集まらなかった。有名な「がんばろう石巻!」の看板の所には、テントが立ち、多くのテレビ局が来てもいたが、門脇小学校前には、せいぜい150台くらいの車(+大型バス1台)しかいなかった。サイレンが鳴り、船が汽笛を鳴らして始まった黙祷は、あっけないほど短時間で終わった。日和山公園からのものも含めて、いろいろな鳴り物が聞こえていた昨年に比べれば、静かなものであった。

 東日本大震災から3年が経った。相変わらず連呼されている「復興」だの「教訓継承」だのといった言葉を聞いていて具合が悪くなる。テレビを見れば、同情を誘う被災者の姿や、逆境の中で頑張っている被災者ばかりが映され、その地を訪ねたレポーターやタレントが「私たちが元気をもらいました」とコメントすることが「決まり」になっている。視聴者のニーズと被災した人々に対する遠慮とが絡まり合って、ステレオタイプで、部分ばかりが誇張され、真実を伝える報道なんてほとんどない。

 震災後のこのブログの記事を見てもらえば分かることだが、私は被災地に居ながら、被災地にもそれについての報道にもとても冷たい。今語られている「復旧・復興」なんて、非常に感覚的、感情的なパフォーマンスに近く、本当の必要性(町作りの理念)や、メリットとデメリットのバランス、将来的な見通しなどまるでない「石油消費大会」だと思っているし、被災地にはエゴが渦巻いている。30年くらい経てば、震災の「教訓」として熟慮し、継承すべきは、津波のことではなく、震災後の人間の動きであったことが分かってくるだろう。

 我が家の下の南浜地区は、早くから公園になることが決まっていた。この公園のあり方について、先月、パブリック・コメントが募集されたので、以下のような意見を送った。


「「基本構想の概要」を見ても、公園を作り維持するためのお金に関することが何も書かれていない。どういうやり方をしたとしても、48haの公園整備・管理にかかる費用は膨大だろう。国に1000兆円を超える借金があり、県・市の財政状況も厳しい中、膨大な支出をしてまでこんな公園を作る意味が全く理解できない。今後も人口減少が続くであろう中、将来に向けて大きな負担を強いる「復興祈念公園」整備は、絶対に止めて欲しい。

 日頃、被災地で行われていることやそれに関する報道を見ていて思うのは、大事件が起こった後だから、それとの関係で大騒ぎをしていなければ落ち着かない、騒いでいれば安心できるという浅はかな言動が多い、ということである。実質よりも感覚、といった趣だ。しょせんは単純な自然災害である。戦争のような、人間の本質が凝縮されたような複雑な出来事に比べれば、教訓の継承ははるかに容易である。関東大震災ていどの記述が教科書にあれば、その教訓継承は可能であり、また、可能とさせることのできる言語能力や想像力を小学校レベルで身に付けさせて欲しいと思う。社会的・組織的な事件で大量の死者が出たというならまだしも、そうではないのだから、大川小学校のように、公的な場所で大量の死者が出た事例を別にすれば、追悼は個人のレベルですればよい。

憲法では居住の自由が保証されている。私たちは、自分で住みたいと思った場所に住んでいるのである。それによって得られる利益も不利益も、各自が自分の責任で引き受けるべきだ。南浜町は放置すればよい。市が非可住地域と定め、公園化しようとしたことによって、地権者への保障をせざるを得なくなった。これも税金の使い方としては間違いであると思う。

 いずれにしても、震災後の浮ついた風潮の中で、感情にまかせて、将来へ向けて大きなツケを作ることは止めて欲しい。冷静な議論を切に望む。」


 もちろん、私の意見が独善的とか冷酷だとか感じる人の方が、世の中には圧倒的に多いだろう。心配ご無用。パブリック・コメントの募集が締め切られてからわずか1週間後に、早々と「石巻・南浜地区の復興祈念公園 公募の意見を論議 基本構想案を了承〜国の有識者検討委会合」(3月8日『石巻かほく』)などという記事が出たからね。このブログも含めて、私の「大勢に反する小さな民意」なんて、何の害にもならない。

 最近、どこで読んだのだったか思い出せないのだが(正月以来、私はとある事情で手に入れた『人民音楽』のバックナンバーを読み続けているので、多分、そのどこかだろう)、毛沢東の言葉として、次のようなものを目にし、時間が経つにつれて名言だと思うようになっている。

 「危険なのは右ではない、極左だ」

 つまり、人々がどちらかの方向(上の言葉の場合は「左」)へ向かって進もうとしている時に、逆のことを言う人よりも、より過激な方向に進もうという人の方が危ない、ということだ。例えば、戦前を仮想例にすると、「アメリカ・イギリスと戦争をしようか」ということを言う人が現れた時に、「それはやばいから止めようよ」という意見は弱腰として笑われるが、「断固として戦い、大和魂を持って鬼畜米英を撃破しようではないか!」という意見は、勇ましく、前向きで格好いいため、受け入れられやすいし、異を唱えにくい。どちらが危険か?ということである。被災地には、これを名言と思わせる多くの事例がある。いや、被災地だけではない。今の日本は・・・であろう。