ほら、まただよ!

 2月20日に報告したトラブルが、ようやく解決した。報告記事も削除。やれやれ。
 さて、
 先日、東日本大震災津波の被害を受けた上に炎上した石巻市立門脇小学校を、震災遺構として保存するかどうかの公聴会で、私は「最近の世の中には、何かにつけて残したり記念碑を建てたりしようとする傾向が強いが、無駄に豊かであることによって生じたセンチメンタリズムであると思う」と述べた話を書いた(→こちら)。
 一昨日の河北新報県内版に、宮城県大崎市の田尻総合支所(旧田尻町役場)の建て替えに関する記事が載った。現在の建物を取り壊そうとしたところ、日本建築学会東北支部から「待った」がかかったのだという。支所は鉄筋コンクリート2階建て、1958年建築だが、円形であるということに価値があるらしい。学会支部は、「円形建築の役場庁舎としては、全国で唯一の現存例」であるとし、「貴重な建築遺産であり、地域のシンボル」なので、「何とか保存活用して欲しい」と訴えているということだ。
 ほら、まただ、と思う。とにかく何でもかんでも残したがるのである。門小の時にも、そしてそれ以外の場面でも繰り返し言っているとおり、私は、役割を終えたものはきれいさっぱり消えて無くなるのがよい、と思っている。悲しくても残念でも、それが自然の摂理なのだ。
 そんな私も、古い物を残すことを全否定しているわけではない。まず、古い物を大切に使い続けることが最もよい。それが不可能でも、本来の機能を離れて、歴史的、美術的、工芸的価値があるなら、残してもよい。
 写真で見る限り、田尻総合支所はまだ使えそうな気がするが、仮に耐震性等で問題があってもう使えないという場合、それを保存するには大きなコストがかかる。しかも、原材料や技術の関係で、それを再現できないというならともかく、こんな鉄筋コンクリートの現代建築は、同じ形状で建て直そうと思えば、建て直せるはずのものである。ただ、円形の建物は使い勝手が悪いから、新しい庁舎の形状は円形にしない、というだけだろう。かつて全国で100ほども作られたという円形の建物が、1960年代後半以降作られなくなり、今や30ほどしか残っていないというのも、それなりの理由のあることなのである。
 いい物は残る、残らないのはよくない物だ、というのは「古典の法則」である。何でもかんでも残そうとすれば、「古典の法則」までもが崩れていく。「古典の法則」は、人間が作り出した規則ではなく、一種の自然法則なので、それが機能しなくなるというのは、人間が自然からいかに隔たったところにいるか、ということの表れである。
 つじつまが合う。石油を大量に燃やすことで、自然からかけ離れ、無駄に暇で豊かになった人間が、自然法則に逆らって無駄に物を残そうとする。大きな大きな人間全体のゆがみの表れの1つが、「残せ、残せ」であるわけだ。
 こうなったら、後から後から奇抜なデザインの建物を作り、その全てを、この世にひとつのデザインとか言って残せばいいさ。それらのデザインのほとんどには残すだけの価値がないだろうが、「物を大切にしよう」という宣伝塔としての価値は生まれてくるかも知れない。