美しき明治村



明治村

 旅行の実質的な最終日は、「明治村」を訪ねた。中学校時代のことだったと思う。母が買っていた『暮らしの手帖』という雑誌で、明治村の特集記事を読み、明治村に保存された建築物の美しさに魅力を感じると同時に、「本来は国がやるべきことを名鉄という会社が代わりにやった」として、名鉄を讃えていたことが印象に残った。それ以来約40年、一度明治村は行ってみたいと思いながら、果たせずにきた。子供は多少幼いが、あちこち連れ回すよりも、じっくり何かを見せた方がよいと思い、旅行の実質的な最終日に明治村を訪ねることにした。当初それを意図したわけではないが、結果として、今回の旅行は歴史的建築物を訪ねる旅となった。

 石巻の門脇小学校など、いわゆる震災遺構の保存について、私は冷たい発言を繰り返してきた(→)。「役割を終えたものは潔くなくなるのがいい」というのが、その根拠である。だが、それは、やたらと物を残したがる昨今の風潮に対する反感があってのことであって、何でもかんでも処分するのがいいと考えているわけではない。古い物も大切に使う(役割を与え続ける)のが最善、役割を終えても、学習や鑑賞に役立つ(新たな役割を与えられる)ものは残す、というごく一般的な考えを私は持っている。だからこそ、姫路城も閑谷学校も、今回は行けなかったが、京都や奈良の古寺群も価値があるのであり、震災遺構は、与えるべき新たな役割に比べ社会負担が大きすぎるから保存に反対、と考えているだけのことなのである。

 11月に、明治村のある犬山から石巻に遊びに来た友人から、『明治村ガイドブック』という素敵なカタログをもらい、私は1ヶ月あまり繰り返し読んで勉強してきた。全部で68(うち10が重要文化財)もの建造物を集めた博物館である明治村は、丁寧に見物すれば、相当な時間がかかりそうだった。一応、10〜15時の5時間を見物に当てる予定を立てたものの、子供が退屈して挫折、という可能性は高いだろうと覚悟していた。

 ところが、6歳の息子も、スタンプ集めという作業や、京都市電や古典的な蒸気機関車に引かれた列車に乗ることで気を紛らわせたりしたことはあったにせよ、建物を見ることにも嫌がる様子をほとんど見せず、昼食も早々に、村内全域、ほぼ全ての建物をまわったのであった。これは、やはり「本物」の持つ力ではないかと思う。

 ボランティアガイドの方の説明に耳を傾けたり、森鴎外夏目漱石旧居の中で琵琶を弾く老人と話し込んだりして、時間が半分過ぎた時には、かろうじて3分の1を見たに過ぎなかった。その後はピッチを上げた結果として、全体を回りはしたものの、あまりにも駆け足で、随所で催されているガイドツアー(この時だけ入れるという場所がけっこう多い)にも参加できなかったのは残念だった。全てのガイドツアーに参加しながらじっくり回るためには、あと2度くらい訪ねなければならないようだ。

 それにしても、確かに金のかかる施設だろうと思う。全国の優れた明治建築を解体し、輸送し、修理しながら再建するのは、途方もない作業だ。木造建築はともかく、石や煉瓦造りの建物なんて、どうやって移築したのかと思ってしまう(私は舞台裏が気になる性格→こちら)。移築後の維持管理も本当に大変だ。特に、明治に輸入された蒸気機関車の動態保存は大変だろう。加えて、広い村内の草木の手入れにも手間がかかる。入場料は大人1700円、ゆっくりゆっくり3〜5分走るだけのSLや京都市電に乗って500円(入場券と一緒に買うと、乗り放題の切符が1000円)というのは一見法外に思われるが、決してそうではないだろう。

 村内で働いている人の多くはボランティアらしいし、明治村を維持するための寄付の呼び掛けもあちらこちらで行われていた。明治村が開村してから入場者数が1000万人に達するのに8年、2000万人が15年、つまり毎年120〜130万人程度の入場者があった。ところが、今は3分の1の40万人にしかならないらしい。ボランティアガイドの方が、「明治は遠くなりにけり、ということです」と言っていた。正に青息吐息、自分たちが文化財を守っているという使命感やプライドによって、かろうじて明治村は維持されていると見える。

 美しい物を鑑賞するということでも、明治という時代、近代化ということを学ぶということでもいい場所だった。入鹿池(日本で2番目に大きな潅漑用ため池)を見下ろす丘陵地帯というロケーションもよかった。天気に恵まれたということもあったが、いい一日を過ごしたと思う。

(関西旅行の話終わり)