姫路・龍野・閑谷学校



【姫路城とその界隈】

 姫路城へ行ったのは、35年ぶりくらいである。秋空に映える姫路城というのは本当にきれいで、正に「白鷺城」そのもの。私は大好きで、姫路城から小一時間の所に住んでいた中学、高校時代は、天気のいい日を選んで何度か行ったのだが、大学入学後はご無沙汰になってしまった。10年に1度くらいは姫路界隈を訪ねる機会もあったのに、姫路城は、せいぜい駅前から眺めるくらいで、わざわざ見に行ったことがないのは、時間の都合等の事情による。その後、平成の大修理が始まり、今年、その套屋は取り外されたものの、あまりにも白すぎると不評であることは、何度か耳にしていた。このことは私の好奇心を刺激した。子どもたちにぜひ見せてやりたい場所でもある、と行ったわけである。

 久しぶりで見た姫路城は、確かにずいぶん白くなっていた。特に屋根の白さには違和感を覚えた。しかし、ボランティアガイドの方の話によれば、瓦の隙間を埋める漆喰が白く目立つものの、10年もすれば違和感のない色に落ち着く、とのことである。現に、10年前に修理をした部分はすでに黒く落ち着いた色になっていると言われ、見ればその通りだ。そして、それ以外には違和感もなく、相も変わらぬ美しくて堂々とした姫路城に感動した。日没時には、天守閣が金色に輝くのも見ることが出来た。「国宝」とか「世界遺産」という称号に最も似つかわしい、日本を代表する建築物であると思う。套屋は外したものの、来年3月末まで平成の大修理は続くらしく、天守閣に登れなかったのは、家族にとって心残りだったようだ。

 一般の観光客はほとんど見向きもしないだろうが、姫路城の東〜北〜西には公園があって、北東の角のあたりには昔の軍の建物(陸軍第10師団の兵器庫)が残っている。私が高校時代は、何に用いられるでもなく放置されていたのだが、その後、姫路市立美術館として利用されるようになった。赤煉瓦の美しい建物で、周囲の落ち着いた雰囲気もあり、これも私の好きな場所のひとつである。足を伸ばしてみると、すっかりこぎれいになってはいたが、その美しさを保ったままあったのは嬉しかった。

 姫路城の東側には、市立動物園がある。動物大好きな息子が目ざとく見つけ、「動物園、動物園」と大騒ぎするので、姫路城の裏を一回りした後、息子と私だけで入ってみた。多分、私も入ったことがない。信じられないほど素朴な動物園で、昭和(30年代?)の風景そのものであった。入場料も大人200円、子供30円というのが面白い。中に子供用の乗り物というのがあるのだが、1回150円というのが、入場料に比べて不当に高いというのはともかく、これまた典型的な時代遅れの勢揃い。レトロなものが大好きという人が見に行けば、涙を流しそうな趣深い場所だろうと思う。

【瀬戸内海の海岸線】

 瀬戸内海と私の関係は、かつて映画「東京家族」の最後の場面との関係で書いたことがある(→こちら)。そうしたところ、直後の『朝日新聞』(2013年1月30日付)に、その映画についての山田洋次監督自らの談話が載り、最後の場面で瀬戸内海を舞台としたのは、それが「美しい日本のふるさと」だからだと語っているのを読んで、快哉を叫んだ。あの穏やかな海は、そこで生まれ育った者以外にも懐かしさを感じさせるものなのだ。

 幸運にも、まさに無風快晴。12年前に来た時にはなかった御津(みつ)の道の駅や赤穂岬から、きらきらと輝く静かな海(波の高さ5センチくらい!)越しに家島諸島や小豆島をぼんやりと眺めていると、美しすぎて物悲しい気分になってくる。なんだか「絶望的な美しさ」である。海岸線とそこから見える景色は、私が高校時代と比べてもほとんど変わらない。

閑谷学校

 今回、家族で伊勢へ行こうか、せっかくだから少し足を伸ばしてみようか、という話になった時、姫路城まではすんなりと決まったが、その翌日をどうしようか、という迷いが生じた。どうしても行きたい場所がないのであれば、やっぱり室津(むろつ=瀬戸内海岸の古い集落、万葉集にも登場する)と閑谷(しずたに)学校だ、と言い出したのは私である。どちらも妻とはかつて訪ねたことがあるが、子供にも見せておきたいと思ったのである。

 閑谷学校は、岡山県和気にある。備前藩の郷学(準藩校)で、人里から離れた山あいにあるが、明治以降も閑谷中学として教育の場であり続けた。取り壊されたり焼失したりした建物はなく、一つの藩校が完全な形で残されている。漆塗りの柱や床が磨き上げられ、凜とした空気の漂う立派な講堂が国宝に指定されているのを始めとして、孔子廟、正門など、江戸以前に建てられた全ての建物が重要文化財に指定されている。全てが素晴らしいのだが、特にユニークなのは学校を取り囲む高さ1m半ほどの石塀であろう。断面がかまぼこ形で、しかも石の組み方が緻密である。

 おそらく全国的にはさほど知名度が高くないのではないかと思うが、なかなかどうして、文化遺産としての価値は並々でない。参観者でごった返すということもないので、のんびりと静かな時間を過ごすためにもいい場所だ。不便な場所にあるのに、私は、姫路城以上に繰り返し訪ねている。

 現在、「世界遺産」への登録を目指しているらしい。仮にそれが実現したとすると、おそらく訪問者が激増するのだろう。昔からの閑谷学校ファンとして、その価値が認められるのは嬉しいが、騒々しい場所になるのは困る。複雑な気分を抱きながら、つい「世界遺産登録を実現させるための署名」に名前を書いてしまった。

【龍野】

 私が高校時代を過ごした場所である。やはり12年ぶりで訪ねたが、本当に時間の止まった街である。少なくとも旧市街のたたずまいは何も変わっていない。「播磨の小京都」と称されているとおり、町並みは感動的なほどに古くさい。観光地としてわざとらしい整備がされていないのが、この街の魅力だと思う。城下町特有の整然としていない道路(狭くて行き止まりが多い)など、これほど完全に保存されている街はそうそうないのではないかと思う。旧市街地の外側には多くの住宅が出来、郊外型のショッピングセンターも増えて、旧市街の商店にはさすがに店を閉めたところも目に付いたが(12年前にも既にそうだったかも)、昔からの和菓子屋(「萬年堂」「晴風」「東堂」「嘴崎屋」)が健在であったのは嬉しかった。

 12年前には全通していなかった山陽自動車道が完成していた。時間が限られていたので、閑谷学校近くの備前ICから龍野西ICまでその道を利用した。SA併設の巨大なICを下りたところにある交差点には「南山」とあった。周りの風景が変わっていて、いったいどこなのか分からなかったが、それを見て、ある記憶が蘇ってきた。

 私が中学時代、南山には「南山牧場」という牧場があり、乳牛を飼っていた。中学校の同級生の一人が、その牧場に住んでいた。私はけっこう仲が良く、たびたびその牧場に遊びに行っていた。当時既に高速道路建設の計画はあり、移転を迫られているのだ、という話をしていた。違う高校に進学することで、彼とは疎遠になっていったが、間もなく、南山牧場は閉鎖され、彼の両親は近くの街でレストランを経営するようになった。

 そんなところに牧場があったことは、もはや私以下の世代は知らないことであろう。何も変わらない龍野の旧市街と、すっかり変わってしまった南山。少し不思議な気分になった。