近鉄特急と伊勢界隈


近鉄特急】

 私は常々、日本の鉄道から「客車」が消えてしまったことを嘆いているが、私が小学校時代、寝台列車以外の特急列車は既に全て電車・ディーゼル車化されていた。乗る機会が最も多かったのは東北本線の特急「ひばり」である。狭軌鉄道の表定速度(=距離÷所要時間、つまり所要時間から停車時間を引かない)世界一を誇っていたとかいう「ひばり」は、信じられないほどよく揺れ、お世辞にも乗り心地のよいものではなかった。そんな時代、父の実家に帰るために近鉄特急に乗ると、その違いにひどく驚かされた。速さは「ひばり」と同じくらいなのに、本当に滑らかに、静かに走って快適なのである。「ビスタカー」という2階建て車両は、当時近鉄特急にしかなかったし、車内も美しく、アテンダントが座席におしぼりを配ってくれるというサービスも、国鉄では考えられないもので、私にとって近鉄特急は、輝く特急列車であった。

 その快適な走りの原因の一つが、国鉄よりも35㎝以上線路の幅が広い標準軌(新幹線と同じ)によること、近鉄名古屋線標準軌化は、伊勢湾台風で不通になったタイミングで、一気に進められたという神がかり的な「伝説」を父から聞いていたことも(本当はそれ以前から着々と準備を進めていて、伊勢湾台風をきっかけに工事を前倒ししただけで、ゼロからの工事ではなかったことは後から知った)、近鉄特急を輝く特急列車にしていた。

 おしぼりサービスはなくなったが、乗り心地の良さは変わらない。ただし、この点についてはJR(国鉄)の技術の向上がめざましく、狭軌でありながら、JRの特急列車が近鉄に遜色のない水準に達してしまったので、「ありがたみ」は相対的に低下した。

 それでも、幼い頃にすり込まれたイメージの強さと言うべきか、近鉄特急を前にすると、私にはそんな今までの思いが湧き起こってきて、心地よい興奮を感じるのである。今回は、本当に久しぶりに大阪線にも乗った。住宅が建て込んで、大和三山(特に天香久山)が見にくくなっていたのは残念だったが、物足りないほど大阪は近かった。

【剣峠を越える道】

 25日に、本当に久しぶりで父の実家を訪ねた。多分、20年ぶりに近い。90歳に近い伯父伯母が存命で、私のいとこも住んでいるのだが、近くに住んでいたことがなかったこともあって、もともとあまり付き合いがなかった。20年あまり前に祖母が亡くなり、6年前に父が亡くなってからは、親近感が更に薄れてしまった。妻は伊勢神宮すら訪ねたことがない。まして五ヶ所の父の実家は・・・というわけで、「じゃあ、行ってみるか」となった。五ヶ所を訪ねることが今回の旅行の目的、と言えば言える。

 3月に書いたとおり(→こちら)、私は内宮から剣峠を経て五ヶ所に抜ける古い峠道が大好きなので、今回はなんとしてもこの道を行くことに決めていた。24日に、外宮から内宮までタクシーに乗った際、運転手さんにそんな話をしたところ、とんでもなく細く曲がりくねった道なので、悪いことは言わないから止めておきなさい、というようなことを強く言われたが、その言葉で剣峠をあきらめる気にはならなかった。

 天気は上々である。内宮を過ぎると、確かに、記憶よりもはるかに狭い山道となった。驚いたのは、「高麗広(こうらいびろ)」という伊勢市側で唯一の集落が、まだ残っていたことである。何を生業として生活しているのかは知らないけれど、この信じられないほど不便な地に住み続けている人は、意外に多いようだった。

 私がかつて感動した「神宮の森」は健在だったが、以前ほど圧倒的な美しさで迫っては来なかった。森に原因はない。車で通るという不精がよくないのである。森の美しさを愛で、その霊気に接するためには、車という隔絶された箱の中にいてはいけないのだ。

 五ヶ所でいとこから聞いた話では、今でも、五ヶ所の子どもたちは、大晦日の夜に歩いて剣峠を越え、伊勢神宮に初詣に行くそうである。みんなで行くからいいのだろうが、原始の森であるだけに、夜の神宮の森は恐ろしい世界だろう。どこで夜が明けるのか、帰りはどうするのか聞かなかった。だが、彼らは間違いなく森を神の宿る偉大なものとして認識するはずである。

 五ヶ所側には切原という集落がある。こちらは高麗広と違い、五ヶ所に近い開けた集落だ。内宮から20?あまり。この間、すれ違った車はわずかに3台。このような歴史的な峠道は、トンネルが掘られることで廃道になるパターンが多いような気がするが、伊勢〜五ヶ所は、かなり以前から志摩磯部経由(東回り)、その後(私が大学生の頃から)はサニーロード経由(西回り)が一般的で、伊勢市から直線的に剣峠の下にトンネルが掘られることはなかった。伊勢神宮の森を管理するという役割もあってか、この峠道が廃道になることもなく生きているのは嬉しい。

鳥羽水族館

鳥羽水族館に行った。伊勢志摩には水族館が二つある。高校時代に、もう一つの水族館である志摩マリンランド(賢島)に行った記憶は鮮明だが、それよりもはるかに有名、飼育種類数日本一を誇るとかいう鳥羽水族館に行ったことがあるかどうかは定かでない。ということは、多分「ない」のであろうが、そうと断定もできない。

 子供が水族館大好きということもあり、自分が行った記憶がないこともあり、3月に学年旅行で伊勢に来た時に、一部の教員が鳥羽水族館を訪ねて興奮していたこともあり、その直前に長寿のダイオウグソクムシが死んだことがずいぶん大きなニュースになったこともあり、見に行くことにした。

 調べてみると、動物のショーやら餌やりやら、1日を通していろいろなイベントが行われている。12時の「ペンギン散歩」から見たいと思っていたが、五ヶ所に行き、せっかくなので波切(なきり)の大王崎に行ったりしていて、14:00の「セイウチ パフォーマンス笑(ショー)」からの見物となった。以後、15:00「海獣王国のお食事タイム」、15:30「アシカショー」、16:20「ラッコのお食事タイム」と続き、その合間を縫ってあちこちの水槽を見て歩くのは忙しかった。パフォーマンスもすべて見応えがあった。

 ダイオウグソクムシは、ただの(?)巨大なダンゴムシで、わざわざ見に行くほどのものには思えなかったが、こういう奇怪な生き物を見ると、なおのこと神の創造の不思議を強く感じさせられる。

 ジンベイザメやマンタもいないし、「美ら海水族館」の「黒潮水槽」に勝る「美」はないけれど、館内から見える鳥羽湾の風景も含めて、ほとんど丸一日楽しむことのできるすばらしい水族館だった。子供たちは大喜び。閉館のアナウンスにせかされるように17時に出た。