函館本線8の字区間

 駒ヶ岳下山後、私は銚子口発15:26の列車で函館に戻るつもりでいた。列車が来るまで1時間の時間があった。正に北海道の田舎、という感じの、なんとものんびりとした駅である。何しろ、一日の乗者数平均が2人(2013年 Wikipedia)である。人なんて来ない。その割には長いホームがあって、昔の繁栄を感じさせる。レールを物差しにして計ってみると、約170mもある。現在、旅客列車はすべて1両か2両のワンマン運転だ。170mと言えば、8両編成用であろう。ただし、「昔の繁栄」とは言っても、昔とて駅の周りに人がたくさん住んでいたとは思えないから、繁栄はあくまでも銚子口駅の、ではなく、函館本線の、である。
 おやつを食べたり、うろうろしたりしながら列車を待っていて、ふと、このまま真っ直ぐ函館に戻るのはもったいないような気がしてきた。思えば、39年前に銚子口駅のある通称・砂原線は「121レ」(→昔の思い出)で通ったことがあったけれども、駒ヶ岳の西麓を大沼から森へと直行する線は通ったことがない。駅に置いてあった簡易な時刻表を見てみると、函館行き列車とほぼ同じ時刻に長万部行き列車があって、次のように函館まで戻ることが出来ることを知った。

銚子口15:25−(砂原線)−16:01森16:09−(北本線)−16:55大沼17:04−17:41函館

 説明が遅くなったが、函館本線の南部、函館〜森は線路が8の字型に通っている。函館から2つめの駅である七飯から大沼までは、北海道新幹線の現在の始発駅である新函館北斗を通る西側の線(「南本線」と呼ぶことにする)と、大沼までの間に駅のない東側の線(通称:藤城線)があり、大沼から森は、上に書いたとおり、駒ヶ岳の西を通る山側の線(「北本線」と呼ぶことにする)と、同じく東側を通る海側の砂原線がある。
 銚子口駅での思いつきなので、この8の字区間がどのような機能を持っているかということには一切知らず、下り列車に乗った。39年前の記憶では、海が非常に美しく見えたのだが、なかなか記憶の風景は見えてこなかった。海が間近に見えてきたのは、森駅に近づいた頃である。
 森駅で乗り換えた北本線の上り列車は1両だった。定刻に出る。乗客は私を含めて4人。列車は山間のけっこう急な勾配を、ものすごいエンジン音を響かせて走る。途中、廃駅と思しきもの(「東山」という駅=今春廃止)が見えたり、信号所(「姫川」臨時乗降所=今春廃止)があって貨物列車とすれ違ったりしたが、いつまでたっても止まることなく走り続ける。後から調べてみると、森を出て次に止まった駒ヶ岳駅までは13.0キロ、標高差が174mある。ノンストップで20分かかった。13キロと言えば、石巻から仙石線に乗ると、8駅目に当たる陸前小野までと同じ、東京駅からなら12駅目の赤羽までである。しかも、174mを上るというのはずごい。エンジン音をけたたましく響かせながらよく走るわけだ。
 駒ヶ岳で1人降り、次の赤井川駅では2人降り、乗客は私一人となった。特急の追い越しがあるということで、10分停車。ホームでのんびり特急の通過を見送ることにする。7両編成のスーパー北斗14号だ。これは肝をつぶした。山間の未電化路線だし、60キロくらいのスピードでゴトゴト通過していくのかと予想していたら、その場ののどかな雰囲気にまったく不似合いなすさまじいスピードで駆け抜けていった。以前、東北新幹線の通過に圧倒された時(→こちら)にも近い感覚だった。
 自分が乗っていた列車の運転手さんに、特急の速度を尋ねると、110キロだと言う。「(JR北海道が)いろいろ事故を起こす前は、130キロだったんですが・・・」と付け加える。
 ついでなので、北本線の役割を尋ねてみると、全ての特急列車と下りの貨物列車は北本線、上りの貨物列車は砂原線とのことだった。砂原線より12.8キロ短い北本線は、少しでも早く目的地に到達することを使命とする特急列車には好都合だが、森→駒ヶ岳の急勾配を貨物列車は登れない。だから、北本線を通る貨物列車は下りだけなのだそうだ。
 藤城線経由の旅客列車は、下り3本だけである。朝に乗った函館発5:51の列車は、貴重な3本のうちの1本であった。他は特急も普通も全て南本線を経由する。藤城線の距離が時刻表に書かれていないので、この両路線の距離の違いは分からない。翌日、新函館北斗駅で聞いたところでは、貨物列車も下りだけが全て藤城線経由らしい。
 大沼で乗り換えた森発砂原線経由函館行きは、森を16:13、すなわち私が乗った北本線の列車より4分遅れて出た列車だ。それが、9分遅れて大沼にやって来る。12.8キロも余計に走っているのに、5分余計にかかっているだけだ。特急列車の追い越しやすれ違いだけでなく、上りに関しては、貨物列車とのすれ違いのための時間待ちも絶対にない。その結果の所要時間だ。
 39年前に札幌から乗った急行「すずらん」も、砂原線経由であった。当時の時刻表を見てみると、気動車であるか客車であるかに関係なく、上りだけは特急・急行にも北本線経由と砂原線経由の両方があったことが分かる。121レは藤城線経由だった。今回、北本線に初めて乗り、これで函館本線を全て乗車したことになる。函館に戻る時間を1時間遅らせただけで、意外に楽しい小旅行が出来た。自由はいい。(函館シリーズようやく終わり)


(補)函館本線8の字区間の歴史については、「鉄道トリビア(342)」(→こちら)が便利。