宮城県最後の映画館主

 そうそう、函館から戻って、その間にたまった新聞の整理をしていたら、8月20日付の「石巻かほく」で、清野太兵衛さんの大きな訃報を見付けた。いくら超ローカル紙とはいっても、1面の半分近い大きさの訃報というのは異例であろう。
 清野さんとは、あのアングラ映画館「日活パール」(→参考記事)の経営者である。
 記事によれば、清野さんが亡くなったのは8月5日で、90歳だったという。おそらく、新聞社の方で清野さんの逝去を直後には把握しておらず、気づいた時に、小さな訃報を載せるのも間が抜けていたので、映画館の歴史と清野さんの生涯を重ね合わせた特集記事を組んで訃報に替えた、ということなのではないかと想像する。
 私は、何か特別なこだわりがあってポルノ映画の興業を続けているのだと思っていたが、清野さんのこだわりというのは、ポルノ映画ではなくて、日活だったらしい。石原裕次郎吉永小百合浅丘ルリ子小林旭が活躍していた日活の全盛期、清野さんは日活の作品だけしか扱わないという約束を日活と交わした。映画館の名前は、その時に「パール劇場」から「日活パール劇場」に変わった。そして、日活がロマンポルノに路線変更をした際、清野さんが日活との約束を守った結果として、映画館の性質が変化したというのだ。記事は、テアトル東宝元支配人・稲井峯弥さんのものとして、「映画館を止めていく同業者が多い中、清野さんは日活と運命を共にすることを決めたんでしょう。日活との約束を守り通した」という言葉を引く。アングラの道を歩いてまで信義を大切にする生き方は清々しい。
 そう言えば、もう10日以上前になるだろうか?映画館の正面入り口に、「盛夏のお楽しみ 大人のオアシス 3本立て 一挙上映」と書かれた立て看板が設置されていることに気づいた。私がいつも通る裏口にはない。だから、いつ立てられたのかがなおのことはっきりしないのだ。上映がいつのことなのかは書かれていない。あれ?この映画館は閉館になったのではなかったのかな?今後も、折に触れて臨時開館するのかな? と不思議に思った。
 その看板は、確か今でも立てられっぱなしになっている。今にして思えば、その看板は、清野さんの追悼興行なのかも知れないし、日にちが書いていないことを思うと、実際には上映は行われず、清野さんの一種の墓碑として立てられただけかも知れない。
 清野さんの死因は、「心不全」としか書かれていないので、果たしてぽっくり逝ったのか、数ヶ月の闘病生活があったのかは分からない。ただ、6月の末に閉館となったのは(→その時の記事)、経営の逼迫だけではなく、清野さんの体調の問題が大きかったと想像できる。映画館はやはり、清野さんの人生とともに終焉を迎えたのだ。
 私は失礼にも、このブログの記事の中で、「東北でたった2軒残ったポルノ映画館のひとつ」という紹介の仕方をしてきたが、記事を読むと、実際には、ポルノ映画館どころか、宮城県内唯一の個人経営の映画館だったのだらしい。だから、清野さんが亡くなったことは、県内で最後の映画館主が亡くなったことでもある。
 清野さん自身にはお会いしたことがないこともあって、その死を悼む、というほどの気持ちになるわけではないが、時代の変化に対する実感と寂しさは多少感じる。合掌