血縁・熱田神宮・ふじ

 一昨日の続き。
 前回、青龍寺(五ヶ所)に行ったのは、2014年末のことだから(→その時の記事)、8年半ぶりである。2014年は家族で伊勢旅行に行き、レンタカーを借りて剣峠を越えた時、ふらりと立ち寄ったのである。お寺だから誰かいるだろう、と思って、事前に連絡することもなく訪ねた。私のいとこが出て来て応対してくれたが、伯父は免許の更新講習に行っているとかで留守だった。そのため、伯父に会った最後がいつかは、容易に確認できない。
 親族がほぼ全員集まったのは、もしかすると1991~1994年頃、祖父母が相次いで亡くなった時の葬儀に際して以来だっただろうが、その時、私は仕事の多忙を口実に参列していない。私の記憶にあるのは、1984年、祖父の米寿の祝賀会の時である。すると、ほぼ40年ぶりということになる。記憶なんか全然ない。もちろん、いとこに街で会っても分からない。当時、私も含めて、いとこは全て独身だったから、配偶者や子ども、孫(!!)は全て初対面である。私は、「あんた誰?」みたいな顔をされ、なんだか場違いで、居心地の悪い思いをしたら嫌だなぁ、と思いながら行ったのだが、杞憂であった。
 不思議と私は「懐かしい」としか言いようのない思いを抱きながら、それなりに楽しく話をし、名残惜しく帰って来た。これが「血」というものなのだな、と思った。昔の権力者が、血縁関係に頼って世を統治したというのも分かる気がした。実に不思議な安心感だ。
 次に会う機会があるのかどうか分からない。伊勢は遠い。

 最終日、まずは熱田神宮に行った。三種の神器の一つ、「天叢雲剣」を持つ神社としてあまりにも有名だが、私は行ったことがなかった。南門から入る。
 熱田神宮の鳥居は、全て木製である。なんとも言えない清潔感というか、格調の高さが感じられてよい。森の立派さは言うに及ばず、神殿(本宮)、神楽殿などの建物も、新しいのだが、ものすごく立派な木が使われた堂々たる建築物だ。境内各所にある小さな神社にも、正倉院のような高床式の古風なものがいくつもあって、趣がある。
 ぐるり一回りで1時間もあれば十分なので、決して広大な神社というほどでもないが、なんとも爽やかな気分になれる場所であった。

 次は、南極観測船「ふじ」だ。なぜ「ふじ」が名古屋港にあるのかという理由は、かつて何かで読んだことがあると思うのだが、今はどうしても探せない。ただ、かつて南極に憧れ、教員枠で行くことさえ目指した私として、一度は行ってみたい場所だった。
 「ふじ」の前の広場には、「ふじ」のプロペラと雪上車があり、タロ・ジロの銅像が建っている。自販機で300円の入場券を買って乗り込むと、入り口で乗船証明書をくれる。番号が印刷されていて、私は1985年8月16日の開館以来(なのかな?)8,843,376番目の入場者らしい。あまりにも桁が大きいので、何かの間違いではないかと何度も見直した。だって、その数を37年10ヶ月で割り算すると、1年当たり23万5千人、毎日650人近くが入場していることになってしまう。私が1時間ほどかけて船内を回る間に会った人は10人ほどなので、年に365日開館していたとして、平均650人近くも入場するというのは信じがたい。もしかすると、現役として活躍していた時代に「ふじ」を利用した人も含めての数かも知れない。
 リアルな人形の存在を気味悪いと感じる人もいるかも知れないが、展示はそれなりに工夫されていた。ごく一部とは言え、ガラス越しにエンジンルームを見られるようにしたことも、よく頑張った方だろう。それでもやはり、見られるのはこれだけか?という思いは抑えられなかった。倉庫や船長室をはじめとして、見られない部屋は多い。「ふじ」に限ったことではないが、トイレが完全に改装されてしまっているのも興醒めだった。
 海に浮かべっぱなしで展示を続けるのは苦しい。まもなく限界に達するだろう。陸揚げして展示すればいいと思うが、最初から陸上でならともかく、限界まで海に浮かべておいて陸揚げしようと思えば、傷みの修復に巨額を要するだろう。残念ではあるが、おそらく、陸揚げのタイミングが、処分のタイミングになるのではあるまいか。

 その後、車で常滑まで送ってもらった。聞けば、常滑の街は散策すると楽しいらしい。こうして、あちらこちらに行けば行くほど、新たな課題が生まれてしまう。旅行も学問もよく似ている。