嫉ましきサラブレッド・・・仙台フィル第321回定期

 今日は、仙台フィルの第321回定期演奏会に行っていた。指揮は鈴木優人(すずき まさと)。言わずと知れた日本、いや世界のバロック音楽界の巨匠、鍵盤楽器奏者でバッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督鈴木雅明を父、チェリストでオーケストラ・リベラ・クラシカ音楽監督鈴木秀美を叔父に持つ、サラブレッド中のサラブレッドだ。まだ37歳。指揮者として活動する以前から、鍵盤楽器奏者として有名になっていた。私は、最近よく名前を聞くなぁ、と思って気にはしていたが、録音と言わず、ライブと言わず、その音楽に接するのは初めてだった。
 私はこういうサラブレッドが大嫌いである。もちろんそれは、音楽的才能がゼロである私の嫉妬心の反転型だ。そのため、怖いもの見たさのような所もあって、のこのこ出かけては行くのだが、何しろ嫉妬心の塊なので、あら探しへの意欲は並々でないものがある。
 ところが、完敗である。世間の評判以上に、あまりにも素晴らしい。ケチを付ける要素は何もない。高関健も山田和樹も色あせるほどであった。
 プログラムは、バッハ(シェーンベルク編曲)の「前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552」、同じくバッハ(ウェーベルン編曲)の「6声のリチェルカーレ」、ラヴェルクープランの墓」、メンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」という、古楽と関係の深い選曲。出色はラヴェルである。
 まさか練習に2週間も3週間も時間をかけたはずもないのに、これが本当に仙台フィルか?というほど音がきれい。しかも、弱音の磨かれ方が「半端ない」。だから、弱音が効果的に使われているラベルが出色の出来となったのだ。繊細、しなやかで色彩感のある最高のラヴェルだった。メンデルスゾーンも序奏の終わりの所にある最弱音でこちらの耳を引きつけておいて、一転、あとは怒濤の勢い。それでいて雑ということもなく、やはり完璧に磨かれ、制御された理想的「宗教改革」だった。
 一方、私が興味津々だった冒頭の2曲は、演奏の問題ではなく、曲(編曲)に強い違和感を抱いた。シェーンベルク編曲の方は、ものすごい量の管楽器が並び(4管編成でクラリネットは6本!)、なんだか長い長いファンファーレを聴いているようで、バッハの曲にはあまり聞こえなかった。
 ウェーベルン編曲の方は、編成から言うとシェーンベルクの半分以下で、バッハの編曲としては期待が持てたが、冒頭、フリードリッヒ大王がバッハに与えたというこの上なく魅力的なテーマが、細切れにされ、ホルンとトランペットとトロンボーンという金管楽器がたらい回し方式で奏でる。応答として2回目に出てくる時は、それがフルート、クラリネットオーボエという木管に変わる。これはナシだろう。あの旋律はどうしても1本の線だ。仙台フィルが下手なのではない。少なくとも私には、どうしても受け入れられない編曲なのである。
 予習もせずに出かけて行って、帰宅後、気になったので安直に『名曲解説全集』を引いてみると、ウェーベルン編曲のリチェルカーレだけ載っていた。この項の執筆は大御所・諸井誠である。氏は以下のように述べている。

管弦楽法の原理を音色旋律においているウェーベルンのスコアからは、原曲からちょっと想像もつかぬような意外な響きがもたらされ、聴くものに新鮮な驚きを与えてその心をとらえてしまう。想像力の豊かさが、ウェーベルンを単なる編曲者に止めず、創造者にまで達せしめる。したがって、(中略)これは一種の合作品といえはしまいか。」

 どうも私には分からない。やはり、原曲の方がはるかに魅力的な音楽に聞こえる。
 さて、こんなことを書いていると、今日の主題を見失う。鈴木優人、悔しいけれど、おそらく日本人で最も優秀な指揮者、いや音楽家として、今後ますます名声を馳せることになるだろう。