ショスタコーヴィチ(2)

 ショスタコーヴィチの最もよき理解者は、チェリストロストロポーヴィチとソプラノ歌手であるヴィシネフスカヤ夫妻であったことは間違いないと思われる。ショスタコーヴィチ研究の権威であるファーイも、ロストロポーヴィチ夫妻が実質的な亡命のためソ連を離れる直前、ショスタコーヴィチを訪ね、出国許可を求めるブレジネフ宛て書簡のコピーを見せた時、事情を察したショスタコーヴィチが声を上げて泣き始め、「きみたちがいなくなったら、ぼくは誰の腕の中で死ねばいいんだい?」と言ったことを伝える。
 ショスタコーヴィチの妻・イリーナに見送られてロストロポーヴィチが出国した2ヶ月後、ヴィスネフスカヤの出国も決まった。出国の直前、彼女は再びショスタコーヴィチを訪ねる。この場面に関するヴィシネフスカヤ側からの記述(『ガリーナ自伝』和田旦訳、みすず書房、1987年)は次の通りだ。

「私は、しわの1本1本を知り抜いているその顔を見つめていたが、私の心は二つに引き裂かれていた。どのようにして私の絶望を彼に見せないようにしたらよいのだろう。立ち上がって別れを告げる力をどこに見付けたらよいのだろう。
『私、失礼しますわ、ドミートリー・ドミートリエヴィチ・・・。さようなら』
私たちは抱擁したが、とつぜん彼がむせび泣いているのを知った。・・・なんということか。
 私はいまにも泣き出しそうになりながら、もはやその苦しみに耐えられないような気がして、狂ったように彼の顔と首と肩とに接吻した。それからもう二度と会うことがないのを知っていたので、私はやっとの思いで彼から、まるで死者のような生者から身をふりほどいたのだった。
『戻っておいで、ガーリャ。私は待っているよ』
私は涙をいっぱいためた彼の眼を、初めて私に見せた青白くゆがんだ顔をのぞき込み、それから自分の涙で眼が見えないためによろめきながら階段を降りて、階下で泣いている女性たちの傍らを行き過ぎたのだった。」

 このような関係にあったガリーナ・ヴィシネフスカヤが語るショスタコーヴィチの姿は、なんとも痛々しいが真実であると思わされる。私が何かを語るための補助としてではなく、紹介のために少し長い引用をしよう。

「彼は他人(引用者注:彼を粛正しようと思えばできる権力にある者を除く)が自分について言うことを気にかけなかった。なぜならそうした饒舌が次第に消え去り、彼の音楽だけが残る時代がやがてやってくることを知っていたからだ。しかも彼の音楽はどんな言葉よりも生き生きと語ったのである。彼の唯一の現実生活は自分の芸術であり、その中にだれひとり入ることを許さなかった。それは彼の殿堂であり、そこに入ると彼は仮面を脱ぎ捨てて本来の自分に戻ったのだった。彼はその生活だけに専念した。ショスタコーヴィチは自分が言いたいこと、自分が考えていることをすべて彼の音楽の中で表現していたのだ。これから数世紀にわたりその音楽をつうじて、20世紀の偉大な作曲家の痛めつけられ苦しめられた精神のイメージは生き続けるであろう。」

「彼は生涯の初めから終わりまでその音楽をつうじて、人びとが個人の圧政に抗議することを求めたのだ。」

「そのあらゆる作品において彼は怒りをこめて暴露し、悲嘆にくれ、深い苦しみを味わっている。言葉のない独白である彼の交響曲には、ロシアの抗議と悲劇、人民の苦痛と屈辱が認められる。もしも音楽が反共的であるとすれば、ショスタコーヴィチの音楽はその名で呼ばれるべきものだと私は思う。彼の『第5交響曲』がロストロポーヴィチ指揮のワシントン交響楽団によって演奏されるのを聴いたとき、私は世界がいま崩壊しつつあり、溶岩の噴出する流れが私を吞みこみ、一群の怪獣が私を踏みつぶそうとしているのを感じた。私は恐怖の叫びをあげないように文字通り自分の口を押さえなければならず、まるで釘付けにされたように椅子に座っていた。いまにも私の心臓は破裂しようとしているのではないかと思われたのである。ショスタコーヴィチがいなければ、ソヴェト芸術も20世紀も存在しないであろう。そして時間の経過と共に、その実感はますます強まるのである。」

 体制の求めることに唯々諾々と従い、表面上は「社会主義リアリズム」に基づく作品を書く。時には反体制的とされる人物の告発状に署名をし、やがては共産党員にもなった。そんなショスタコーヴィチが、果たして、ヴィシネフスカヤの言うような、そして私自身も感じるような自己主張に満ちた音楽を書けたのはなぜか。この点についても、ヴィシネフスカヤの目は正しく本質を見抜いている。

「人びとがショスタコーヴィチのあれやこれやの行動を、愚かにも彼の恐怖感のせいにしているのを耳にするとき、私は憤慨してしまう。私の内部にあるすべてが異議を申し立てるのだ。精神が恐怖に押しつぶされた人間であったならば、とてもあのような力強い音楽は書くことができなかったであろう。その音楽は政治テロに無縁の者にも深い感動を与えるものである。しかも彼はその絶大なる力をみずから生み出したのだった。」

 私は、ショスタコーヴィチの作品や行動の背後に、恐怖があることを否定しない。だが、恐怖だけでは作品は生み出せないのも確かだ。恐怖であれ悲しみであれ孤独であれ、それを正面から見つめ、それらの本当の姿を見極められなければ、作品という形も為すことはできないのである。
 それでも、ファーイ以外によるものも含めて、伝記に描かれるショスタコーヴィチは常におどおどして、頼りなく、繊細な人物である。

「ああ、愚かな人びとよ。言葉ではなく、作品にすべてが詰め込まれていることを、理解すべきなのだ。誰もがそれを理解すべきなのだ。」(ファーイの伝に引かれたウダルツォヴァの日記)。おそらくそれは「言葉」だけではない。態度も、容貌も、全てについて同様である。信じるに値するものは、ただ「作品」だけなのだ。(続)