苦虫をかみつぶしたような顔で(2)

 一読して、腹が立つと同時に情けなくもなった。これを読んだ職員が、私以外にも何人か憤慨している。一応内部文書だと思うので、原文をそのまま紹介することはしないが、文面の雰囲気が伝わるように要約すると次のようになる。
「全国的に見れば多くの自治体が導入していない中、職員の不安解消のため在宅勤務の制度を作ってやった(からありがたく思え)。在宅勤務はあくまでも勤務なので、勤務中に私用で外出し、近所の人に通報されるなどということは、万が一にもあってはならない。届けに当たっては記述を具体的にせよ。校長が不都合と判断すれば、認めないこともあり得る。あれこれの手続きは、県民の批判から職員を守るためのものである。くれぐれも遺漏なきように。」
 おいおい、根っこから間違っていないか?昨日に書いた教職員の自己研鑽とは?などという高尚な議論以前の話、私の理解によれば、在宅勤務というのは、人と接する機会を減らすことで感染のリスクを減らし、伝染病を撲滅するという社会的な目的で行うものである。私のためではなく、社会のためのものである。メッセージは、明らかに「制度を作ってやった」「許可するor許可しない」というというニュアンスになっている。本当は、「家で仕事をするのは、不便でもどかしいこともあるかとは思いますが、公共の利益のためにお願いします」と語るべきものである。なるほど、こういう考えだから、注意事項がやたら多い上、無意味で面倒な手続きが必要とされるわけだ。よく分かった。
 在宅勤務にした上で管理の手を緩めれば、お前たちは勝手に遊び歩いて世間から批判されるんだろうという、「不信」を前提に書かれていることも非常に悪い。私用で外出すれば近所の人から教育委員会に「通報される」という意識にも恐れ入る(1950年代ソ連の話?!)。そんな注意は、必要だとしても、現場管理職を通して口頭でさりげなくすればよいことで、仰々しい文書にして突きつけるものではない。どうせ閉鎖されている所が多くて、旅行や遊興に行けるわけもなし。「成果物」付きの報告書を提出させようが、毎日教頭にメール送らせようが、それで実際に「勤務」に値することをやっているか確かめられるわけでもなし。絶対に管理などしきれるものではないのだから、それだったらむしろあきらめて(?)信頼の姿勢をアピールした方が、お互いに精神衛生上よい、というものである。
 実は、このメッセージを読む直前、私は「仕方ねえなぁ」と面倒に思いながらも、今日から在宅勤務をする旨手続きをしたのである。しかし、その後私はこれを読んで、絶対に在宅勤務なんかしない、と思った。私は「課長様、お心遣い本当にありがとうございます。在宅勤務、ああ嬉し」などという気持ちになれる人間ではない。
 私が在宅勤務を拒否したら、校長は自ら自宅での私の仕事内容を指定して命令を出すのだろうか?「成果物」なんて物としては存在しない、と添付しなかった場合、校長は「だったら年休にしなさい」と命じるのだろうか?年休だって、こちらの申請があってこそ校長の許可があり、行使されるものである。在宅勤務の手続きだけはして強行突破、私が学校に現れてしまったら「処分」されるのだろうか?・・・いろいろと想像は広がる。
 職員打ち合わせの時には、予め申請して、仕事が本当に学校にいなければ出来ないものか確認の上、校長が許可した者以外は在宅勤務、というような説明だったが(←これは理念として正しい)、一昨日手続きの段になると必ずしもそうではなく、各自が在宅勤務しないと言えばそれで通るような話になった(←課長メッセージとの関係で言えば確かにこうなる)。しかも、届けを出さずに突如在宅に切り替えることは出来ないが、届けを出して校長が「許可」した後で、在宅を取り消すことには問題がないという。
 さて、私はどうしたものだろう?社会的使命感からすれば出勤すべきではなく、課長メッセージを思い出せば、家にいる気にはならない。悩む私であった。(完)