苦虫をかみつぶしたような顔で(1)

 宮城県教職員の在宅勤務については、先日少しだけ触れた(→こちら)。翌日学校に行くと、午後から臨時の職員打ち合わせだという。
 打ち合わせでは校長から説明があった。土曜日に耳にしたとおり、出張扱いなのだそうだ。まぁ、それはいいとしても・・・手続きその他の説明を聞いていて気が滅入ってきた。無意味に面倒なのである。
 まず、5月1日までの勤務について、どの日を在宅にするのか、一覧票(動態表)に記入して教頭に提出する。次に、在宅1日につきA4版1枚ずつ「在宅勤務命令簿」というものを作って提出する。「命令簿」という名前にはなっているが、実際には「伺い」であって、そこには「実施業務内容」という欄(広い!)がある。どのようなことを何時間するのか、いわば計画書である。在宅勤務が終わったら、これに準じる書式で、やはり1日につきA4版1枚の「在宅勤務実施報告書」を出す。それには「成果物」を添付しろ、と書いてある。全日程が終わったところで、「旅行命令(依頼)票」を書いて出す。これはA4版1枚に欄が8つあるので、今回の場合は1枚で済む。更にびっくり仰天は、在宅勤務の日は、「勤務を始める時」に教頭にメールを送り、終了時にまたメールを送って報告するということだ。テレワークとやらをしている会社の社内手続きがどうなっているのか知らないが、どうしてこんなに面倒なことをするのだろう?紙の無駄もひどすぎる、と呆れてしまった。
 1番悪いのは、こうして計画書を書く、しかも「成果物」を添付しろと言われると、いかにも直接授業に関係したことしかしようがない、ということだ。これは、生徒を指導する時に、考査や進路との関係(=利害打算)でしか学ぶことの価値を説明できないのと同じことで、人間の了見を甚だ狭くし、思慮を浅くする。教育の構造的な悪を、県が率先して私たち教員に学ばせているようなものだ。他の職業の方には至って呑気で身勝手なことに思えるかも知れないが、こと教員に関しては、どんなことをしていてもそれが自己研鑽になり得るし、必ずしも授業・教科と関係しないようなものをたくさん身に付けていないと、人間としてもつまらなく、話に奥行きも含蓄もないペラペラの存在になってしまうのである。小説を読んでいようが、映画を見ていようが、花を愛でていようが、すべて教員としての価値になり得る。「成果物」はいわばその「人」だ。教員、もしくは教育というのはそういうものである。
 この時点で、私は在宅勤務などほとんどする気が起きなくなってしまったのだが、その翌日、つまりは昨日、それに追い打ちを掛ける出来事が起こってしまった。
 昨日の昼頃、PC内の「掲示板」というところに、宮城県教育庁教職員課の課長からメッセージというものが届いた。教職員課長というのは、宮城県教育庁教育委員会事務局)の中で一番大きな影響力を持つのであるが、現知事が就任して以来、文科省のキャリア官僚が就任するようになっている。他の課にいる生え抜きの課長が50台半ばであるのに対して、教職員課長だけは30歳前後。2~3年、宮城県で仕事をすると霞ヶ関に戻る。私なんかとは全くかけ離れた偉~~い人である。メッセージは全職員が手元のPCで見られるのだが、さすがは教職員課長様のメッセージ。それから30分以内くらいに、印刷したものが配布された。(続く)