社会常識の圏外?

 忙しい時ほどいろいろなことが出来る、暇な時には案外何も出来ない、とはよく言われることである。全くその通り。授業もなく、暇なはずの4月。新しい通知が来るたびにどんでん返しで、何もかもやり直し、みたいなことが相次ぎ、生徒が学校に来ていない割に暇ではないのだが、なんだか生活のリズムがなく、曜日の感覚も希薄で、余裕がありそうな割に何も出来ない。心も含めた全身の活性が低下している感じで、ここ(ブログ)に文章を書こうという気力も湧いて来ない。テレビも新聞もネットも「肺炎、肺炎」で、つついてみようかというネタにも欠ける。
 そう言えば、先週、ある会議の時に、校長に次のようなことを言った。

「今は、テレワークとか何とか言って、できるだけ出勤しないように、人との接触を減らすようにということがうるさいほどに聞こえてきます。先週、ちょっとした用事で国立の研究機関や大学に電話をしたんですが、すっかり閉鎖されている感じでした。なぜ高校教員はみんな出勤していて、休める人はこの機会に年休を取って下さい、などと言われなければならないんですか?県から来た〈Q&A〉には、教員の仕事は個人情報を取り扱うものが多いので、在宅勤務には馴染まない、というようなことが書いてありますけど、個人情報を扱うのは私たちの仕事のごく一部ですよ。教材研究なり、その他自己研鑽に関わることで自宅でもできることはたくさんあるはずです。校長の権限でどうにも出来ないとしたら、ぜひ県にその旨言ってもらえませんか?」

 その後、某同僚と立ち話をしていたら、この話題になった。その人が、「夫は民間勤務なのだが、会社の機能が一切停止するということがないように、半分の人間しか出勤しないような対策を取っている。そうすれば職場から感染者が出た時、一緒に勤務していた人が自宅待機になったとしても、他の半分で会社の機能を最低限は維持できる。どうして学校にはそういう危機管理の発想がないのか?」と言うので、私は次のように言った。

「私はあまり危機感を持っていないんだけど、報道を見ていると、新型肺炎に感染すれば即死亡といった感じの扱かい方がされているように見えますね。危機感がないというのは、私はかからないという意味ではなく、交通事故やインフルエンザの死亡者数から見ても、今回の肺炎だけが特別に危険だという印象を持っていないっていうことです。それでも、世の中は『新型肺炎』にすごく敏感で、今程度の状態でも学校は長期休校になっちゃう。総体は出来そうにないし、12月の修学旅行だって黄色の点滅になってきちゃった。一昨日、実施前日になって急遽始業式や入学式の延期を言い出した仙台なんて、市長による発表が夜の9時半で、保護者への通知は深夜にメール配信されたんでしょ?異常ですよ。この異常に神経質で策が大げさであることと、私のように公共交通機関で通っている人間でさえ、『平居先生、免許と車持っているのなら、なんとか自家用車通勤に切り替えてもらえませんか?』とさえ言われない、生徒が来ないという以外何も変わらず、いつも通り全員出勤し、狭い職員室で机に向かっているのを当たり前だとする鈍感さのアンバランスって何なんですかね?
 結局、いくら残業しても手当は出さない、教員は労働基準法の対象外っていうのと同じで、普通の社会人として扱われていないんじゃないですかね?だけど、今回のことについて言えば、本人に楽させるために在宅勤務っていうんじゃなく、感染を終息させる、いわば社会全体の利益のために出勤を減らせって呼びかけているわけだから、教員を例外扱いするのはどう考えても理屈に合わないんだけどね・・・。」

 そうしたところ、この会話が聞こえていたとは思えないが、その日の午後だったか、県知事がようやく教員も出来るだけ在宅勤務に出来るよう措置する、ということを言い出した。遅いよ。何考えてるんだか・・・。
 その後、教職員組合から伝わってきた話によると、在宅勤務をする場合は、「自宅に出張」という扱いになるらしい。えーっ!!??これは前代未聞。珍、珍、珍。なんでそんな面倒なことをする必要があるのだろう?日本の学校の悪名高き書類仕事を増やすだけではないか。やっぱり分からないなぁ、偉い人の考えること。もしくは、学校についての常識。
 一般の報道で知っただけで、正式には何も言われていないので、とりあえず明日は普通に出勤します。