欧米人と日本人

 肺炎問題に関する今までの私の言及など見ると(例えば→こちら)、私がいかに鈍感で危機管理能力のない人間であるか、ということがよく分かる。
 一方ドイツでは、肺炎問題に対する迅速な対応が評価されて、一時「死に体」であったメルケル政権の人気が急上昇しているという。4月5日の日本経済新聞「ドイツ大規模検査の背景 早い初動、1月6日対応」という記事を読んで、なるほどたいしたものだな、と思った。
 その記事によれば、ドイツの感染症対策の専門機関ロベルト・コッホ研究所は、中国で新型コロナウィルスの検出が伝わったばかりの1月6日、既に内部で作業グループを立ち上げ、ドイツ初の感染者が見つかった1月末には2交代制に移行、戸別訪問も含めて、現在は1日に5万人(日本の25倍!)を検査しているという。その他もろもろ、実に周到だ。
 しかし、あまり関心ばかりはしていられない。どう考えても変だ。それだけのことをやっていながら、なぜ昨日までで113,296人の感染者、2,349人もの死者が出たのだろう?確かに、死者数が2万に迫るイタリアやスペインと比べれば、よく「踏みとどまっている」と言えるのだろうが、どう考えても、結果論とは言え、対策が後手で思いつきばかりのような日本が感染者6,268人、死者119人というのとアンバランスがひどすぎる。理屈に合わない。ドイツの人口が日本の約3分の2であることを思うと、その違いについての違和感は更に大きい。
 よく言われるのは、日本が検査態勢不備であるが故に、感染者はたくさんいても、実際に感染者と認められている人は少ないということだ。いかにもあり得る話だが、それはあくまでも感染者についてである。日本の死亡手続きというのはかなり厳格で、当然、医師の診断書が必要だ。死因をはっきりさせる段階で、肺炎とは分かるはずだし、今や肺炎と分かれば、感染防止の観点から、新型かどうかの特定はするはずなので、表向きは「119」だが、実際には数千だ、などということは起こり得ないだろう。せいぜい倍ではなかろうか?やはりドイツとのアンバランスは解せないのである。
 よく、「癌になりやすい体質」とか「家系」ということを言う。特定の遺伝子を持っていると、糖尿病や心臓疾患になりにくい、という話も聞いたことがある。つまり、病気の原因となるものがあっても、持って生まれた体質(遺伝子)によって、かかりやすいとか重症化しやすいとか(その逆とか)がある。報道では専門家の話としても耳にしないが、欧米と日本との感染者・死者数の違いというのは、そんな体質とウィルスの相性による部分が非常に大きいのではないだろうか?どうもそんな気がしてならない。
 飛行機が減便され、人々が出歩かないとなれば、地球環境には甚だよい。だが、「食えない」人が出てきたら、そうばかりも言っていられない。まずは公務員の給料を3割くらい減らす。そして、もうかっている会社からたくさん税金を取って再分配し、社会全体を今よりもかなり貧しいレベルで平均化させる。そんなことが出来たら、人類の生存のためにはいいと思う。いや、自然は人間に今の生活の異常さを自覚させ、レベルダウン=自然との共存を促すために、新種のウィルスをわざわざ開発したのかも知れない。

 

4月12日補記)この記事を書いた直後、読者から「あまりにも常識を欠く不正確な言説で」あるとして、意見が寄せられた。死亡診断書がいい加減なものであることを始め、上の記事には誤解が多く含まれるということである。とりあえず、記事をこのままにした上で、いずれ削除なり改訂なり説明なりを施したい。