パチンコ店の営業自粛

 梅はほとんど散ってしまったが、我が家の桜は満開。水仙も満開。青い海を背景に美しい。このところ天気もよく、春分を過ぎて日の出も早いので、5時半からという我が家の早い朝食時でも、外の景色を存分に楽しむことができる。加えてホーホケキョ。いいなぁ、春。
 あさって土曜日は、さぞかしいいお花見日和だろうと思うが、残念ながら恒例「平居家花見」も中止。典型的な「3密」だから仕方がない。来週末に予定していた「ラボ・トーク・セッション第23回」もとうとう延期を決定。石巻で感染者が出ないのをいいことに結論を先延ばししていたところ、今回の講師の所属先であるJAXAから延期要請が来てしまった。いったいこの先どうなるのだろうか?
 人が集まるのはよくないということで、何もかも、正に何もかもが中止や延期になり、シャッターを閉めている店も多いのに、パチンコ屋は相変わらず開いていて盛況だというのを、いぶかしく思いながらみていた。小さな悪を手厳しく取り締まる一方で、明らかに「ギャンブル」であるパチンコが、特殊景品を媒介にするという脱法行為によって取り締まりの対象とならず、隆盛している日本社会の現実を、私は以前からかなり批判的な目で見ている(→参考記事)。
 新型肺炎感染のメカニズムというのはよく分からないが、しばらく前によく言われていたエアロゾル説がある程度でも正しいとすれば、タバコの煙立ちこめる、というのは昔の話かも知れないが、客の喫煙率は相当高そうなパチンコ屋というのは、極めてクラスター化する可能性の高い場所である。真っ先に自粛要請の対象となってもおかしくない。
 そう思っていたところ、先週半ば頃であったか、BPプレスという会社によるネット記事(尾藤克之筆)で、やはりパチンコ屋が営業を自粛しないことについての分析というか、批判が述べられているのを読み、ははぁ、確かにそうだろう、と思った。「確かにそう」とは政治家とパチンコ屋が癒着し、金が政治家に流れているから、政治家はパチンコ屋の不利益になることができない、ということである。
 その記事でも指摘されているが、国会にはパチンコチェーンストア協会という団体があって、40名の国会議員が所属している。自民党だけではない。国民民主や立憲民主もだ。一応の肩書きは「政治分野アドバイザー」である。パチンコ業界からお金が流れているのかどうかは分からない。流れていないわけがない。そうでなければ、なぜわざわざそんな団体を作っているのかが分からない。だが、彼らは手続きを上手くやるだろうし、聞けば否定するに決まっている。
 尾藤氏の指摘を意識してか、先週末はマルハンが2日間の営業自粛を発表した。他の店については耳にしない。パチンコ店批判が強くなり、全く営業できなくなるよりは、1社なりとも自粛をして、言い逃れの材料を作っておくということかも知れない・・・と書けば、あまりにも悪意的だろうか?
 ともかく、パチンコ屋が賭博場であることは明らかだし、もうかるからという理由で、それを取り締まることのできない社会は不健全だ。もちろん、パチンコだけではない。利益になることは、悪いことでも批判できないという風潮が、この国にはある。金が全て。肺炎でも何でもいいから、そんな貧しい文化に批判の目が向くきっかけになるといい。