NHKの受信料

 修学旅行の前後に報道された二つの社会問題について、今更ながら触れておきたい。

 ひとつはNHKの受信料問題である。12月6日に最高裁判決が出て、受信料の徴収は合憲であり、契約は法的義務であるとの判決が確定した。憲法との関係で言えば、どのようにでもこじつけられる問題なので、あまり意味があるとは思わないが、私は判決を基本的に歓迎する立場だ。
 私が最もよく繰り返している口癖の一つに、「真偽と損得は矛盾する」というものがある。世の中の多くの場面において、儲けようと思えばずるいこと、汚いことをしなければならず、正しさを追求しているとお金にならないのはもとより、不利な立場に追い込まれても行く、というようなことである。
 マスコミといえども、利潤追求を基本とする民法の番組の質の低さというのはお話にならない。視聴率を上げる=スポンサーを付けるということを大切にした結果が、興味本位で下品で騒々しい番組の数々として表れている。スポンサーが付くことによって必然的に放映されるコマーシャルも、物質的な欲望をあおる=消費を促す=環境や人間へのダメージをもたらすという点で問題だ。
 その点、いろいろ問題はあるといっても、NHKの番組の質の高さは立派なものである。そのような高品質な番組は、お金の心配をせず、ひとつのテーマにじっくりと向き合うことができなければ生まれてこないものである。たとえ視聴率が高くならなくても、本当に記録すべきことな何か、本当に伝えなければならないことは何かと、ある種の開き直りを持って番組製作に取り組む覚悟が必要だ。とは言え、飯が食えなければ覚悟も何もあったものではない。その覚悟を支えるのが受信料である。
 手っ取り早いのは、税金から活動資金を交付することだが、もちろん、それはマスコミの中立性や、権力を批判するというメディアの目的からして不合理である。今回のようないざこざがおき、徴収に手間もかかるが、やはり受信料として義務的に納付する制度がよい。
 「国民の知る権利の充足」と言うなら、本当は新聞もNHKのような形で守る必要があるだろう。購読数が減って廃刊というのも社会的損失だし、大量の広告を載せることによって、新聞による批判を封じることが出来る可能性があるというも大問題だ(電力会社やパチンコ屋など、既にそのような現象を起こしているのでは?)。例えば、1世帯あたり一律月2000円とかいう金額を新聞協会のような所が義務的に徴収し、新聞協会はそれを新聞各社に単純な発行部数比例ではなく割り振って支給する。国民は、任意の1紙の購読権を得る、というようなやり方だ(あくまでも思いつきの例)。
 しかし、そうすると雑誌もそういう制度で守れ、書籍だって・・・という声が出てきて収拾が付かなくなる可能性がある。それをどうすればいいか?今のところ、私には分からない。
 とにかく、政治からも資本からも独立した質の高いメディアは絶対必要なのであって、そのためにはNHK、そのためには受信料というのは合理的だ、ということである。
 あれれ・・・長くなったので、もうひとつは明日。