ゴミを減らすためには・・・



 6月28日以来、毎週日曜日、朝日新聞の「フォーラム」というページで、ゴミ問題の特集を連載している。1面の3分の2を占める大きな記事である。

 7月4日に投稿をした。投書欄ではなく、朝日新聞デジタルの「フォーラム みんなの意見」という所である。投稿フォームが実名を前提に作られていなかったので、「リサイクル幻想」というハンドルネームにしてある。全文は次のとおり。


「まやかしのリサイクルをやめるべきだ。リサイクルによって、ゴミを出すことに心理的抵抗がなくなっている。リサイクルには新品を作るよりもはるかに大きなエネルギーが費やされていること、本当に価値ある再生ができるものはほとんど無いことを、マスコミはもっと声高に報道すべきである。武田邦彦さんの主張(『リサイクル幻想』文春新書)は正しいと思う。」


 私は以前からリサイクルに批判的だ(→例1例2例3)。コンクリート石灰石に戻らない、鉄製品は鉄鉱石に戻らない。同様に、ペットボトルもスチロールトレイも石油には戻らない。もしくは、戻そうと思えば、新品を作るよりもはるかに大きなエネルギー(資源)を費やさなければならない。おそらく、エコなふりをするための変な宣伝に惑わされず、思い込みを排して冷静に考えれば、そんなことは感覚的、常識的に分かることである。

 その感覚的な理解を、科学的根拠に基づくものとして解説してくれているのが、上に書いた武田邦彦氏(専門は資源材料工学)である。氏の考え方についてはいろいろな批判があることは知っているし、NHKや温暖化についての氏の見解には、私自身が反対意見と疑念とを持っている。だが、ことリサイクル問題に関して言えば、氏の意見は正しいだろうと思う。

 投稿をした後で、我が家にある『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(=2冊。洋泉社、2007年)と『リサイクル幻想』を読み直してみた。リサイクルのいかがわしさに関しては、確かにその通りであるはずだ、と、改めて思った。リサイクルという作業によって発生する膨大な無駄、更には、「混ぜればゴミ、分ければ資源」などというコピーによって、いくら消費してもリサイクルに回せば何の罪悪感をも感じずに済む、というトリックは、正に犯罪レベルであると思う。

 作業者に危険が及ぶとまずいからガスボンベやスプレー缶を分別するというのは合理的だが、他の分別作業にはほとんど意味がない。ゴミを減らすために私が大切だと考えているのは、月並みで申し訳ないが、次のとおりである。

 ・「リサイクル」を止める。

 ・ゴミ処理(リサイクルを含む)の実態をもっと明らかにする。

 ・物を徹底的に再利用する。

 ・生ゴミは焼却以外の方法をとる。(どこかでまとめて良質の土作りをするなど)

 ・焼却も含めて、自宅で最大限処理させるよう、規制を緩める。

 ・相当額のゴミ処理費を徴収する。

 ゴミ処理費を徴収すれば不法投棄が増える可能性は高い。一方、包装が少なければ少ないほど売れるということになり、過剰包装を規制するためにはこの方法がいいだろう。

 もっとも、大量のゴミが発生する根っこには、お金を出せばいくらでも石油は買える、自分で買った物は自分の好きなように使っていい、という浅い思慮がある。本当はそこを崩した方が手っ取り早いのだけれど・・・。