鉄道復旧の1100億円と新国立競技場の2520億円



 5月の15日だったと思う。仙台に出張の帰り、JRを利用して小牛田経由で石巻に戻ってきた。途中、前谷地駅で駅前に珍しいバスが停まっていた。斜め向かいの席に座っていた2人の県職員(付けていたバッジで分かる)が、「BRT、28日から前谷地発になんだどや・・・」と言っているのが聞こえた。ははぁ、JRはBRTを既成事実化しているのだな、と思った。

 昨年、気仙沼線のBRTに乗った話は書いた(→こちら参考記事)。気仙沼線は、東日本大震災で路線の多くが流失したため、現在、前谷地・柳津間だけが鉄道で、柳津から気仙沼まではBRT(Bus rapid transit)と呼ばれるバスになっている。ただの代行バスというのではない。気仙沼線の線路跡を専用道路として、定時運行の確率を上げたシステムとしたのだ。1台あたりの輸送力は、鉄道に比べるべくもないが、運行経費が安いこともあって、本吉・気仙沼間などは、運行本数が鉄道の3倍になった。

 鉄道復旧を望む声は大きいものの、700億円(一緒に議論されることが多い大船渡線を合わせると1100億円)とも言われる費用を誰が負担するかが問題となり、なかなか結論が出せずにいる。そんな中での、BRT前谷地延伸だった。鉄道の本数を減らしたわけでもない。乗客数が容易に増えない以上、鉄道だけの時よりもバスの分だけ運行経費は増え、収支は更に悪化するはずである。そんなバカげたことを何故やるのか・・・BRTの既成事実化、バスの方が鉄道よりも客に歓迎される(=柳津での乗り換えがないのだから当たり前ですね)ことを証明するための方便である、と思われた。

 7月9日、河北新報にBRT問題に関する大きな記事が載った。

 南三陸町が昨春実施したアンケートで、鉄道復旧を望む町民は48.5%、BRT継続を望む町民は18.2%だった。しかし、鉄道復旧のためJRが地元自治体に求めている負担は、気仙沼線だけで400億円。大船渡線は270億円だ。これだけの費用を投じて再開通しても、赤字路線となることは始めから分かっている。確かに、鉄道の存在感・安心感には特別なものがあるけれども、高齢化と過疎化の進む東北の田舎自治体にとって、正に目のくらむような金額だ。もちろん、私にとってもである。

 ところが、最近にわかに、この金額が、私には小さな金額に見えてきた。それは「2520億円」という金額を、あまりにも繰り返し目にしたためである。言うまでもなく、それは新国立競技場の建設費だ。しかも、その金額は確定ではなく、更に増える可能性が高い。完成した後の維持費についても、相当額に上ることが予測されている。気仙沼線大船渡線を2回引き直しても、巨額のお釣りが来る。

 今年の初め、文科省が効率のよい小中学校統廃合の手引き案を示し、教職員18000人、約390億円の歳出削減を目論んでいることが明らかになり、話題になった。年に390億円ということは、わずか6年半で新国立競技場建設費を上回る、やっぱり教員の人件費節減は重要だ・・・ということになるのかどうか?1月24日の毎日新聞で、柳田邦男氏は次のように書く。


文科省の指針通りに、小学校は6学級以下、中学校は3学級以下で統廃合が進められると、小学生がバスで1時間近くかけて遠方の統合された学校に通うのが、全国的に日常化することになる。往復2時間とすると、児童が年間400時間程度をバスの中で過ごすことになる。道草して自然に親しみ、故郷意識が体に染み渡る時間。脳の前頭葉の発達や人間にとって自然環境を欠かせないものと受け止める人格形成に必要な時間を、戦闘機2〜3機分でしかない300〜400億円程度の予算削減のために国家が奪ってしまうとは!」


 私の交友関係が偏っているのかも知れないが、新国立競技場に2520億円を投じることに肯定的な人、少なくともやむを得ないと思っている人に、私は会ったことがない。手厚い教育も、過疎地の公共交通も、人を大事にする社会では重要なものだ。新国立競技場に2520億円、辺野古珊瑚礁を埋め立て、新しい米軍用滑走路を作るための予算は、今年度だけで1700億円あまり。大船渡から柳津までの鉄道復旧は1100億円で、18000人の教員の人件費が400億円。こういった数字が頭の中をぐるぐる回る。価値観によって「〜程度」になったり「〜も」になったりすることは理解できるし、国が膨大な借金を抱える中で、いくら被災地とは言っても、お金の使い方は吟味しなければならない。しかし、それでも、新国立競技場や軍用滑走路と比べてしまうと、悔しいような、情けないような気分に陥ってしまう。もちろん、国に1000兆円を超える借金があることも忘れてはいけない。

 河北新報は、陸前高田市長の「丸5年を迎える来年3月までに結論を出さなければいけない」という言葉を最後に引く。だが、発想が根底から覆らない限り、鉄道復旧の可能性は・・・ないなぁ。