自分と息子は別・・・岩登りで冷や汗をかく



 先週の金曜日、出掛けウィークだ、という話を書いた。金曜日はNIE(Newspaper in education)推進委員会の総会・研修会で河北新報社に行き、土曜日は私用、夫婦で県民会館まで歌舞伎を見に行った。ほとんど毎年恒例の「松竹大歌舞伎」というやつである。

 今回は中村鴈治郎襲名披露で、演目は「引き窓」「口上」「連獅子」であった。日本の古典芸能の中でも、歌舞伎と狂言は、おそらく誰が見ても面白いと思うだろう。しかも、松竹大歌舞伎はほとんど毎年来るため、「今年はいつかなぁ?」「あ、来た来た」という感覚があって、足を運びやすい。

 学生時代以来、2〜3年に1度は見に行っているが、「口上」が無かった例しがない。ということは、毎年誰かの襲名披露が行われているということである。しかも、それが2名であったこともないので、おそらく、何年も先まで、誰に何という名跡を継がせるかという計画が、商業的なレベルで立てられているのだろう。口上は聞いていて面白いものだが、そう考えると、少し興醒めでもある。

 しかし、舞台は素晴らしかった。およそごまかしのない、年季の入った本物の「芸」は、見ていて本当に気持ちがいいものである。加えて、スッキリとした舞台装置。口上の時の、大広間を模した舞台も、後ろに長唄の演奏者達がずらりと並んだ連獅子の舞台も、簡素で清潔感があって格調高く、「和」の美しさをつくづくと感じさせられた。「引き窓」という人情を主題とした世話物は、少々田舎芝居の趣だが、それでこそ人情の良さも身に染みる。

 私が最も面白いと思ったのは連獅子だ。これは観客を喜ばせるための凝った演出がたくさん為されていて、桂離宮的な簡素な日本美とは遠いのだが、それがまた庶民の芸能としての歌舞伎の面白さを感じさせるし、十二分に質と品位が保たれているからこそ、そこに嫌らしい卑俗さを感じずに済むのだ。

 今後も、事情が許せば、歌舞伎はせっせと見に行こう、と、改めて思った。

 昨日の日曜日は、前任校の山岳部引率で、鎌倉山に行った。鎌倉山は、JR仙山線作並駅東側にそびえる、たった520mの山である。南側に、標高差200m近い岩壁があるので、そこで高校生に岩登り、いや、岩場の歩行技術を体験させようという企画であった。

 もちろん、高校生に200mの岩壁を登らせるわけではない。岩壁の西側の登山道を通って、岩壁の一番上、私たちがマッテル(語源未詳。一説に「先に登って待ってるよ」から生じたと。)と呼んでいる場所まで行き、ベタベタと固定ザイルを張って、確保(ビレイ)しながら、危険のないように岩場を歩く練習をするのである。

 マッテルは、天気がよければ本当に気持ちのいい場所である。ニッカウィスキー仙台工場、新川別荘地、西仙台ハイランド、大東岳や面白山といったものが一望だ。時折、JR仙山線の電車が通る。4両編成の電車は模型そのもので、それが見えると、周囲の風景まで一気に「箱庭」と化す。そんな風景を上から見下ろしている自分が、ひどく特権的な立場に思えてくる。

 しかし、昨日は少々天気がよすぎた。かんかん照りの岩場は、太陽に熱せられるとフライパンになる。昨日は顧問2名と私以外に6名のベテランOBが付いていたので、直接の技術指導はOBに任せ、私は監視役のようなことをしていたのだが、岩場の上でじっとしていると、汗さえ出ない。体から直接水分が蒸発していって、干からびていきそうであった。

 ところで、マッテルから一段下がった岩場で私が生徒を見ていると、25mほど上から地元の大学山岳部の学生が7名、次々と懸垂下降で下りてきた。下りると、更に一段下まで下がり、そこから懸垂下降で姿を消した。なかなか颯爽としたものだな、とは思わない。むしろ、嫌なものを見た、という気になった。

 訓練を終えて帰路、石巻から一緒に行ったO君と車の中で語り合ったのは、やっぱり、自分の子どもにああいうことされたらたまらねぇな、ということであった。実は、O君と我が家は家族構成が似ていて、家も比較的近いので、日頃から家族ぐるみで行き来しているのである。私は学生時代から、ただの山歩きしかしていないが、O君は岩でも氷でも何でもありのエキスパートである。海外への遠征経験も多く、カラコルムでは未踏峰の頂上に立ったことさえある。当然、自分が学生時代は、岩場で見た学生のようなことばかりやっていたわけだから、自分の息子がそういうことを始めた時に文句を言える筋合いではない。それでも、いざ親になってみると、息子には岩登りなどして欲しくないと思うのだ。

 山は危険だ、とよく言われるが、普通の山歩きをしていて死ぬ可能性は低い。ちょっとくらいのミスや不運では死なない。しかし、岩場は違う。ロープの結び方、道具の使い方についての小さなミス、ほんのわずかの躓きで命を落とす。あるいは自分が完璧であったとしても、上からの落石についてはどうしようもない。危険の度が違うと思う。

 帰宅すると、息子が庭で素振りをしていた。私が車のドアを開けた瞬間、例によって「パパ、野球しよ」である。岩場で、車の中で、変な心配ばかりしていただけに、この現実は嬉しかった。よし、このまま息子が山(岩)などに目を向けることのないように、野球の練習にはせっせと付き合わなくては、と思いを新たにしたことであった(笑)。

 「お出掛けウィーク」はようやく一段落。