「原登山」の気配・・・芳野満彦氏の死を聞いて



 昨日、登山家・芳野満彦氏の訃報が載った。私は、小学校5年生頃に新田次郎の『栄光の岩壁』で、この人のことを知った。父親が「山屋」であったこともあって、自宅の書架には山の本が沢山あった。その中に、芳野氏の『山靴の音』も含まれていた。『栄光の岩壁』を機に、私は『山靴の音』を手に取った。夢中になった。毎日毎日、繰り返し繰り返し、この本ばかり読んでいたものだから、両親がすっかりあきれていた。

 何が面白かったのだろう?それは、彼が凍傷で両足の甲から先を切断したにもかかわらず、超人的な努力で一流のクライマーになってゆき、マッターホルン北壁を日本人として初めて登ったというような英雄譚ではない。私がひどく心引かれたのは、まず第一に、彼がともに遭難して死んだ友人のことを思いながら、冬の徳沢園(上高地の奥)で小屋番をしていた時の話、次が八ヶ岳での遭難記録だ。つまり、山が好きで、大きな目標を掲げながら、そこへ向かって直線的に進んでいくのではなく、遭難、それによる友人の死というものを引きずり、絶対の孤独の中でそれと向き合うという、彼のいわば「陰」の精神ドラマに、私は心引かれたのだということになる。そしてそれは、ロッククライミングより静かな森の中の歩行、緊張感に満ちたスリルある活動よりも思索という、私自身の趣味を表しているのだろうと思う。

 思えば、山懐が開発されて交通手段が発達し、人は非常に短時間で山に取り付くことが出来るようになった。昔は、山に取り付くまでに長い長い深林歩きが必要だった。だから、山に登る人は、長い思索の時間を必ず持っていたのである。山登りは、今以上に哲学的な行為だった。芳野氏の行動の中には、そんな「原登山」とも言うべきものの気配が、濃厚に漂っている。それこそが、私が心引かれたものの正体なのではないか?

 今、訃報を前に、今では父の形見となったボロボロの『山靴の音』(朋文堂、昭和34年10月10日刊の初版本!!)を、久しぶりで手に取ってみる。冬の徳沢園の記録は、拍子抜けするほど短いものだったが、かつて私は新田次郎氏の小説と混ぜ合わせながら、自分の想像を膨らませていたに違いない。一節を引いて、故人を偲ぼう。合掌


 「半年間の小屋番生活を顧みていちばんつらかったことというのは、なんといってもその日その日の夕暮であった。ただ一人じっと雪の山々を眺め、山に逝った友を偲び、その冥福を祈るように静かに静かに前穂高の頂に陽が沈むや、一瞬にして暗黒の世と化す大自然、感傷も静寂も暗黒の渦に巻きこまれ、孤独と静寂とが風雪となって私に襲いかかってくるのだった。

 私がしばしばこのような幻想に襲われ、現実と私の理性とが戦に破れて夜は明けてゆくのだ。いくら私が山男を自称したところで、夜になれば若干の恐怖感がわかないこともない。毎夜のことながら犬は囲炉裏端にスヤスヤと眠っている。私は犬の側でじっと榾火をにらんでいる。なにごとも考えずに。だが私の耳にはしきりと風雪の唄声がさまよい続けてくる。」