白菜の妄言・・・富山で話したこと



 先日書いた通り、先週の土曜日に富山で「お話」をした。もともと、11月末に東京で「お話」をしたのがきっかけだった。

 東京の時は、45分が持ち時間で、私は淡々と3月11日以来の被災地と被災した学校の話をし、ここから何を得るかについてはお任せします、みたいな話し方をした。ところが、今回の富山は90分である。東京の時に、なんだかいい話し方ではないなと思った反省などもあって、どうも同じやり方はまずいのではないか、と思い始めた。何かしらの「まとめ」をつけないと、尻切れトンボで非常にしまりのない感じがするというだけではなく、話をする自分自身が、何かの結末へ向けて話をしているという意識を持てず、話全体がメリハリのないものになりそうだ、と思ったのである。

 とは言え、無理矢理に格好のいい「まとめ」を作るわけにもいかない。では、震災から約11ヶ月が過ぎようとしているこの時期に、自分が本当に思っていることは何か・・・私はそれを自問することになった。

 実は、この思考のプロセスは昨年の9月11日に「震災は些事である」と題して書いたことと重なり合う。そして、改めて考えた結果も、その時の結論とよく似ている。

 つまり、震災は確かに一大事には違いないが、それは特殊な「非常時」であって、それを判断基準にしながら動くことにしたのでは、「平時」に大きな負荷がかかってくる。別種の「非常時」にも対応できない。また、世の中の諸問題というのは、震災とは関係なく存在し、それらは今後もあり続けるのであって、むしろそちらの方が、価値観が対立し、構造的で、深刻な問題である場合が多い。

 こうしたことを考えると、震災のため、若しくは震災があったから何かをするのではなく、いかなる災害とも関係のない、人間としての基本的なことを、自分自身においても学校においても淡々と大切にすべきだ、と私は思う。つまり、いかなる状況下でも最善の行動を取るために、自分の外で何が起こっているのかを冷静、客観的に見つめ、世界全体の中でそれを相対化し、掘り下げて真実を探求し、批判的に考えるというトレーニングを積み上げていくことによって、どんな出来事が起こっても、動じることなく適切に行動できる人間は作られると思う。大切なのは基礎力である。どんなにレベルの高いことでも、いや、レベルが高ければ高いほど基礎の完成度は問われてくるのである。

 まぁ、こんな感じの話を「まとめ」とした。

 魯迅の『藤野先生』という小説に、次のような一節がある。

「おそらく物は稀なるをもって貴しとするのであろうか。北京の白菜が浙江へ運ばれると、先の赤いヒモで根元をゆわえられ、果物屋の店頭にさかさに吊られ、その名も「山東菜」と尊んで呼ばれる。福建に野生する蘆薈が北京へ行くと、温室へ招じ入れられて「竜舌蘭」と美称される。」(竹内好訳)

 震災以来の約1年間で、名古屋、東京、富山と、何度か呼んでいただいて、被災地の学校事情についてお話をした。もともと出掛けるのは大好きだし、いろいろな人と出会えたので、私としてはありがたいことだったのだが、残念ながら、私自身の価値が、努力によって本質的に高まった結果ではない。震災によって、いわば白菜が山東菜に、蘆薈が竜舌蘭に変わっただけの話である。

 「被災地の先生」という変な肩書き(?)に惑わされることなく、自分自身が、富山でお話ししたように、地道に当たり前のことを積み重ねていかねば、と思う。


(補)石巻に戻ると間もなく、主催者からお礼のメールをいただいた。「大好評でした」「某氏が、あの講演はよかったね、もっとたくさんの人に聴いてほしいね、と言っていました」というような言葉が並んでいた。儀礼的な要素は大きいと思うが、少しだけ思い当たることがある。それは、「当事者が持つ力」(昨年9月11日や、2009年11月25日の記事参照)というものである。

 一つの出来事があった時、それを直接体験をした人が語るのと、伝え聞いた人が語るのでは本質的な力の違いがある。私が被災地の現実を語る時、そこには「当事者の持つ力」が働いていても不思議ではない。もちろん、「当事者」である私自身は、そんなことを意識しておらず、実感もない。しかし、自分が話したことの他愛なさを思い、人がそこに価値を見出すとすれば、思い当たるのは「当事者が持つ力」くらいなのである。これは、何とも不思議な感覚だ。