富山「大」旅行(2)・・・上市駅とポートラム



3)見所は自分で作る

 富山県の地図を買ってきて、何か面白そうなものないかな?と考える。ガイドブックを読むのもよいが、ガイドブックに旅行させられているようなことはしたくない。地図は無限の情報を含んでいる。地図を見ながら目的地を探す、いや、作り出すのは楽しい作業である。

 今回、そうして私が目を付けたのは、富山地方鉄道上市駅であった。富山駅から13kmあまり。この駅がなぜ目に止まったかというと、それは非常に珍しい「頭端式」の駅だからである。「頭端式」というのは、行き止まり構造の駅である。列車がホームに入ると、行き止まりになっているので、次は必ず逆方向に向って出発する。終着駅は「頭端式」であるのが当然のような気もするが、案外そうでもない。私が思うに、本物の「頭端式」は、行き止まりになった線路の延長線上に駅舎がある。いくら行き止まりでも、駅舎が線路に並行に建っていたのでは、「頭端式」の趣に欠ける。

 ヨーロッパの大きな駅は、「頭端式」が少なくない。ローマのテルミニ駅、パリのサンラザール駅やリヨン駅、フランクフルトやミュンヘンライプツィヒの中央駅・・・。一方、日本では、上野駅の下のホーム、阪急電車の梅田駅あたりが代表格であろうが、その数至って少ない。まして、終着駅ではない、路線の途中の駅で「頭端式」など、私はその存在を知らない(JR花輪線十和田南駅は、到着した列車が必ず逆方向へ向けて発車する「頭端式」に近い中間駅だが、駅舎は線路に並行の上、記憶によれば線路は駅で行き止まりではなく、引き込み線のような形で少し奥まで延びている)。

 珍しいから価値がある、ということには必ずしもならないが、「頭端式」の駅には、終着駅らしい存在感と風格があるのである。それにしても、なぜ富山地鉄本線の一中間駅に過ぎない上市駅が「頭端式」なのだろう?「頭端式」駅それ自体の魅力とともに、そのような成り立ちへの興味関心から、私は上市駅を目指した。昨日書いた万葉線・富山新港へのショートトリップを終えて富山駅に着いたのが18:35。もちろん、既に夜である。景色の見られない電車に乗るのは少しもったいない気がしたが、今度は「点」としての「目的地」があるのだし、それは「駅」である。たとえ夜でも、観察し、駅員さんから事情を聞くことくらいは出来るだろう。私は、18:43の宇奈月温泉行き急行列車に飛び乗った。かつて京阪電鉄で特急電車として働いていた車体である。こういう車体に出会えるのも、地方私鉄の面白さである。

 上市駅にはホームが3本あり、確かに典型的な「頭端式」の駅であった。短いホームと照明の薄暗さがいかにも地方の駅である。一方、駅舎は驚くほど大きな鉄筋コンクリート2階建て(一部3階建て)の建物である。

 上市では20人ほどの人が降りた。私はあえて最後に改札口に行き、駅員さんに、なぜ私がここに来たかという上のような事情を手短に話し、この駅が「頭端式」となった事情を尋ねた。

 既に定年退職し、嘱託にでもなっているのではないかというような老駅員さんは、珍客を歓迎する風もなく、かといって面倒がる風もなく、「これには遠い昔の、いろんな事情がありましてぇ〜」と、少し歌うような口調で説明を始めた。時折、何かの問い合わせや定期券購入の客が来たりするので落ち着かないし、老駅員さんの話もあまり明快ではなかったので、正直なところ、よく分からなかったのだが、私なりに整理し、想像で不足を若干補えば、次のような話になる。

 「線路は以前、ここから更に数百メートル奥まで延びていた。しかも、富山から来て上市が終点だった。後に、宇奈月温泉・滑川からの線が開通して、上市は、富山からの線と宇奈月温泉からの線という2本の線を接続する駅になった。つまり、もともと1本の線の中間駅だったのではなく、別の2本の線の終着駅だったわけだから、束ねるような形で線を引いたのである。この時、通しで運転するという発想があったのかどうかは知らない。また、線路を少し短くした時に、元の線路上に駅舎を建てれば、新たな用地取得の必要がないので、線路の延長上に駅舎を作った。」

 どこまでが正しいか分からない。帰宅してから、今更ながらにネットで調べてみると、富山市界隈の私鉄の歴史というのは複雑極まりないので、上市町教育委員会富山地方鉄道の本社にでも直接取材に行って、根掘り葉掘り尋ねてみないと、本当のところは分かりそうにない。

 一時はデパートとして繁華だったという駅ビルも、私が訪ねた時間が遅かったというだけではなく、今はほとんどシャッタービルになってしまっているようだった。駅が町の中心にあるわけではないこともあって、駅前も暗くて閑散としている。私は、早々に富山に引き返した。


4)新しい都市交通

 土曜日は、学校に行く日と同じ時間に起き、朝食前に、富山ライトレール(愛称:ポートラム)という私鉄に乗って、岩瀬浜を往復した。片道7.6キロ、23分、往復で50分だった。

 これは、2006年4月にJR富山港線が廃止されるとともに開業した私鉄である。全国で初めてのLRT(次世代型路面電車システム)とかいって、高岡のアイトラムと同様、ヨーロッパ風のモダンな低床式連接車が、専用軌道を定時運転している。通勤通学時間帯には、1時間に6本も走っている上、どの時間帯でも、1時間に2本は、岩瀬浜と蓮町で「フィーダーバス」と呼ばれるバスに接続し、それぞれ水橋漁港、四方という所と結ばれている。料金も均一200円(フィーダーバスは別に200円。ただし、パスカというICカードを使って両者を乗り継ぐと、足して270円に割引される)だから、始発から終点まで乗ると、同じ距離のJR地方線と同じ値段だ。これは地方私鉄としては極めて珍しい。

 このシステムに変わって、大赤字だった富山港線が黒字に転換したというから素晴らしい。現在、各地で自動車社会からどのようにして脱却するかということが、半ば妄想として、半ば真剣に考えられている。高岡にしても富山にしても、それについての先進的な取り組みが行われ、結果を出している。日頃から、自家用車の使用について、「一人が移動するのに1トンの鉄の塊を動かすのは犯罪だ」と言っている私としては、何とも頼もしい光景に見えた。車窓の風景は殺風景な町並みだけだったが、そんなことを考えながら愉快な気分で乗っていた。


 「講演」のために富山まで呼んでいただいて、遊んだ話ばかりになってしまった。土曜日の午前に、一応きちんとお話をした。それについては、旅行の話としてではなく、また改めて書くことにする。

 ともかく、短い時間の割には、多くを見ることが出来た二日間だった。自分のお話についてのあれこれの失敗と、富山県の高校の素敵な先生方とお酒を飲めなかったことだけが心残りである。

 復路も、列車ダイヤに若干の乱れはあったものの、ほぼ予定通りに仙台に帰り着くことが出来た。(完)