富山「大」旅行(1)・・・富山新港を渡る



 富山県の高校教職員の団体から、震災がらみで「講演」の依頼があり、金土と富山まで行っていた。富山という場所は、なかなか行きにくい場所なので、どうせなら1日くらい富山見物に時間を費やそうと、木曜日の夜行バスで行き、富山・高岡界隈の鉄道を乗り歩く計画を立てた。

 ところが、今年は例年にない厳しい寒波で大雪となり、富山見物どころか、富山に行き着けるのかどうかが心配な状況に陥った。やきもきしながら数日を過ごし、念のためと思って、木曜日の夕方にバス会社に問い合わせると、案の定、高岡行きは運休だという。仕方がないので、急遽、翌朝一番の列車に乗り、新幹線+特急「はくたか」という最速パターンで富山入りを試みることにした。

 しかし、不運は重なるもので、石巻を6:43に出て、小牛田経由、仙台までノンストップ1時間10分という快速列車は、寒波による岩切駅でのポイント故障とかで遅れに遅れ、仙台まで2時間5分を要した。当然、乗る予定だった「はやて」に乗り遅れ、40分遅い後続の「はやて」にギリギリ飛び乗って、高岡に着いたのは14:05であった。高速バスなら、6:50が到着予定時刻だから、7時間遅れで富山入りしたことになる。7時間は痛かったが、お天気相手ではどうしようもない。いや、便乗的に遊び歩くなどケシカランという天の声か・・・?

 富山滞在は7時間減り、当然のこと、当初の計画通りのことは出来なかったが、久しぶりで「旅行」をした、という実感に浸ることが出来たいい二日間だった。少し、感想をまとめておこうと思う。


1)やはり、「旅行は「点」ではなく、「線」である。」

 「やはり」と書いた通り、上の文句は、今までこのブログを読んでくれている人にとっては、目新しいものではない。最近も、昨年9月27日に、JR飯田線を乗りに行った時の話で、同じことを書いた。

 夜行バスが運休になったのは、ある意味では幸いであった。勿論、私が夜行バスを選択したのは、途中を捨ててでも、富山での時間を確保したいという思いからだった。

 テレビで「豪雪、豪雪」とさんざん言っていたにもかかわらず、富山・高岡の積雪は取るに足りないものだったが、上越新幹線から北越急行線に乗り換えた越後湯沢〜十日町の雪は、正に「豪雪」だった。あれほどの「豪雪」を目の当たりにしたのは、おそらく生まれて初めてのことだ。これは、やむを得ずとは言え、昼間の電車で行ったことによるメリットである。

 高岡から、JR城端(じょうはな)線に乗って城端を往復した。片道50分。天気は最初曇っていたが、やがて激しい雪となり、そしてすぐに真っ青な青空が広がった。すばらしい雪景色だった。ディーゼル車が2両のローカル線だが、客は結構乗っている。東京から来た団体さんが、このローカル線で城端まで行き、そこから観光バスに乗り換え、合掌造りで有名な白川郷に向うらしかった。城端駅前にはバスが待っていた。城端のバスではないので、バスは、富山か高岡から回送されてきたのだろう。ということは、城端線になど乗らずに直接観光バスで行った方が、早くて安い。だとすれば、彼らは、旅の一興としてこのローカル線に乗ることに価値を見出しているということになる。団体旅行は、とにかく効率だけを重視したような企画が多いが、これはなかなかツボを心得ていると感心した。

 終点の城端は目的地ではない。私は、行く時とは反対側の席に座り、再び50分間の雪景色を楽しんで、高岡に戻った。


2)予定は未定

 当初は、城端線の後、JR氷見(ひみ)線で氷見を往復するつもりだった。ところが、なにしろ7時間遅れである。城端から戻ると既に4時だった都合、やむを得ず氷見線を省略し、私鉄である万葉線(旧加越能鉄道)に乗りに行くことにした。高岡駅前から出発する路面電車である。2004年に、アイトラムというヨーロッパ風の低床式連接車を導入して注目を集めた。高岡駅前から途中の六渡寺までは路面電車、その後、終点の越ノ潟までは専用軌道を走る普通の電車というのも珍しい。

 高岡駅前で電車を待っていると、掲示板に「万葉線沿線マップ」というものが貼ってあった。見れば、終点の越ノ潟から富山新港の入り口を横切る無料の県営フェリーが出ていると書いてある。土日であれば、フェリーで渡った先の新港東口から富山ライトレール(旧JR富山港線)の岩瀬浜まで連絡バスもあるらしい。残念ながら、この日は金曜日なので、岩瀬浜行きのバスはないのだろうが、もしかすると、どこか別の所に行くバスはあるかも知れない。だとすれば、越ノ潟を単純に往復するよりは、よほど面白い「旅行」になるような気がしてきた。

 私が乗ったのはアイトラムではなく、デ7070型という旧型の路面電車だった。聞くところによれば、低床式の電車は積雪に弱く、雪が積もると脱線しやすいので、冬場はあまり動かさないそうだ。アイトラムも走ってはいたが、やはり旧型は趣があってよい。

 越ノ潟に着くと、駅のすぐ前がフェリー乗り場だった。フェリーとは言っても、車は多分1台か2台しか積めない。30tそこそこの小さな船である。フェリーの従業員に、対岸からどこかに行くバスがあるか尋ねると、富山駅行きならあるという。時間も約30分後なのでちょうどよい。私は、フェリーで海を渡り、バスで富山駅に出ることにした。

 従業員に、どうしてこんな人があまり来そうにもない所に、県営の無料フェリーが、しかも1時間に4〜5本という信じられない頻度で運行されているのか尋ねた。すると、ここはもともと地続きだった、だから、富山新港を作る時に、出来るだけ地続きだった時と同様に行き来できるように、無料のフェリーを動かすというのが、地元の人々と県の間の合意事項(条件)だったということだ。乗客は、朝晩の通勤・通学時間帯でも、せいぜい20人くらい。経済効率は極端に悪いようだった。隣には、橋脚の高さ最大47mという、「新湊大橋」の建設が進んでいる。失礼かなとは思ったが、「あの橋が完成したら、フェリーは廃止ですか?」と尋ねると、「それは分からない」と少し怒ったように、或いは寂しそうに言った。

 対岸まではたった5分。それでも海の広さは心地よい。私が乗った時は、幸運にも香港からの大きなコンテナ船が入港して来て、すぐ目の前を取り過ぎて行くのを見ることが出来た。

 15分ほど待つと、17:40発のバスが来た。宮城県よりは30分くらい日没が遅いように思うが、さすがにほとんど暗くなっている。富山駅までは55分かかった。

 高岡駅前で得た情報に基づく意外な展開だったが、こういう予定変更こそ、気軽な旅行の醍醐味だな、と思う。日本人ほど、しっかりと計画を立て、全てを予約して旅行に出掛けるのが好きな民族を私は知らない。しかし、偶然性こそが間違いなく旅行を面白いものにする。高岡駅から富山駅までわずかに2時間半だったが、とても濃密で豊かな時間だった。(つづく)