言葉の意味を知る・・・大川小学校のことから



 生徒74名、教員10名が津波で亡くなったという石巻市立大川小学校の遺族向け説明会(3回目)が、1月22日に行われた。質疑応答を含め、会は3時間に及んだという。その時の市教委の説明と質疑応答のあらましが、25日から今日まで、7回にわたって、『朝日新聞宮城県内版に連載されていた。当初、私は読むに堪えないと思い目を通していなかったのだが、今日、連載が終わるに当たり、やはり学校関係者として、得られる教訓は得ておかなければならないと思い、辛い思いをしながらまとめて読んだ。教訓はともかく、感想として以下の二点を書いておこうと思う。

1)言葉の意味を知る

 このように事件に向き合える遺族というのが、私にはある意味で驚くべき存在に思えた。地震発生時から、全員が波に呑まれるまでの間に、どのようなことが起こっていたのかをいちいち検証してゆくのである。生徒達は、30分以上に渡って校庭で待機していた。その情景を思い描きながら、今、その時間に戻ることが出来たら・・・という思いが、遺族の胸を締め付けたに違いない。その感情に耐えること自体が、私を圧倒するのである。遺族達の強さに対する感動というプラスの感覚でもなく、今更そんなことに執着したって、というマイナスの思いでもない。夜、幸いにして無事だった我が家の子どもたちと戯れていると、自分の子どもが同様の状況になっていたら、という想像の上に立って、あの時に戻ることが出来たらという思いが、それこそ津波のように、繰り返し押し寄せてきていたたまれなくなってくる。第三者である私にしてこうである。「取り返しがつかない」という言葉の意味が初めて理解できた、という気さえする。

 一般に、言葉の意味が分かるというのは、ある言葉を他の言葉に置き換えることが出来る、ということだ。例えば、「取り返しがつかない」という言葉は、たまたま手元にある旺文社の『国語辞典』を見ると、「取り返し:取りもどすこと。元の状態にもどすこと」とあるので、「元の状態に戻すことが出来ない」と置き換えることが出来る。しかし、これで何が「分かった」ことになるだろう?「取り返しがつかない」という言葉に込められた、歯ぎしりをし、地団駄を踏んで後悔し、嘆き悲しむようなニュアンスは、まるで伝わってこない。思えば、自分に子どもが出来た時、私は、「かけがえがない」という言葉の意味を初めて知ったような気がしたものである。置き換えても意味なんて分かったことにはならない。分かるというのは、その言葉が自分の体の中に入り込み、神経を刺激し、全身が反応することなのである。

2)自分の愚かさを知る

 確かに、学校・校長には、非難されても仕方の無いような「落ち度」がそれなりにあると思った。当日の判断はさておき、事前の危機管理対策、事後の校長の動きの甘さは、なかなか言い訳が出来ない。しかしながら、では私自身が、「彼らはケシカラン」と声を大にして言えるかというと、その勇気はない。

 水産高校にはそれなりの準備があったのか、3月11日に自分は何をしていたのか、ということを思い出し、考えてみると、単に宮水が「結果として」大きな被害を出さなかったために、何も言われずに済んでいるだけだ、と思うからである。海に近い水産高校でありながら、巨大津波が予想された時にどうするか、といった議論も行われたことはなく、想定もマニュアルもないのである。

 私は、校舎の3階で外を見ながら、津波が来るのを半ばワクワク、半ばドキドキしながら、ボヤーっと待っていた。ラジオの情報は得られていたので、そうすぐに津波が来るわけではないというのは、皆分かっていた。しかし、誰一人、津波が来るまでの間に、来た後のために対策を講じ動いている人はいなかった。

 津波は来たが、最初水がジャーッと流れてきたと思ったら、あとは少しずつ少しずつ静かに水位が上がってきたというだけであった。水が流れてくるのを見てから、校舎が浸水を始めるまでには15分以上(30分近く?)あったから、地震が発生してから校舎が水没するまでには、1時間半ほどの時間があった。あの時間に、1階から2階、3階に運び上げておけば水没を免れた書類・備品は、相当な量に上っただろうし、それが出来ていれば、その後の復旧作業は非常に楽になっただろう。

 また、海岸から数百メートルあるとは言え、今回の各地の被害状況を見ていると、1階が水没しただけで済んだというのは「偶然」である。3階に上ってもやられるかも知れないという意識は、誰の頭にもなかった。

 大川小学校は、水産高校と同じ標高1m。しかし、水産高校は海から数百メートル、大川小学校は4キロ。しかも、大川小学校は、津波が溯ってきた北上川と学校の間に結構な高さの堤防がある。私(校長始め、他の水産高校職員を含む)がのうのうとしていられるのは、偶然である。どうしても大川小学校を責める資格がない。


 記事を読みながら、どう説明しても、遺族の納得は得られないな、と思った。やはり、「結果」は全てなのだ。それは、遺族にとっても、学校にとっても、あまりにも残酷なことである。