大川小学校再考



 土曜日の午後、首都圏から教員をしている友人が来た。震災後、ボランティアで来てくれたこともあって、被災地はずいぶん歩いている。どこに案内しようかと思っていたら、大川小学校には行ったことがないと言うので案内した。今年の5月、大川小学区の長面(ながつら)に家があり、母親と小学校に弟を迎えに行って亡くなった宮水の教え子の墓参に行って以来、半年ぶりである。なぜか、慰霊碑が立ち入り禁止になっていた。

 その後、どうなったか気になったので、長面まで足を伸ばした。何のために何をしているのか分からないが、ものすごい量のダンプカーが走り、あちこちで大規模な土木工事が行われていた。元の長面集落の跡地は、5月に来た時と同様に、多くが水没したままになっていた。

 大川小学校で74名の児童が亡くなったことについては、いまだに第3者による検証委員会というのが作業をしており、そこや市と遺族との間にはいざこざが絶えない。時折、新聞で報道に接しては苦しい気持ちになる。子どもを亡くした親の悲しみは、第三者には想像も付かないものだということをひしひしと感じる。だが、市と遺族との間で続いているゴタゴタについては、それとは別に、まったくいい気持ちがしない。

 今回、久しぶりで大川〜長面を訪ね、改めてあの事故は仕方のないことだったのだ、と思った。自然の力は絶えず人間の想像や対策を上回る。海から4キロも離れ、北上川にも高い堤防があるあの場所に、津波が来る可能性を想像できた人などいなかったはずだ。仮に少数いたとしても、その可能性が確信であったかどうかは怪しいし、他の人々が危機を感じていない状況で、その危機感を他の人に伝え、動かすことは難しかっただろう。そもそも、大川小学校で津波の心配をするくらいなら、最初からあんな所に低層の小学校を建てるわけがないし、大川小学校のすぐそばに診療所も郵便局も作るはずがないのである。いや、それ以前の問題として、釜谷(かまや)の集落が生まれたわけもないのである。まさか津波が来るとは思わなかった、私はその判断を責める気にはとてもなれない。未曾有の大津波に襲われたという結果を前にして、タラレバを語るのはいくらなんでも無理な話だ。

 事故後の処理がなぜこれほどまでにゴタゴタしているのか、というと、もちろん「仕方がなかった」ではあきらめが付かず、誰かの責任を問い詰めないと気持ちが落ち着かないという当事者の心理の問題も大きいし、事故直後の校長の態度に問題があったため、遺族が硬化したという問題(→このブログの2011年9月13日記事参照)もあるだろう。だが、私には、市や教育委員会といった当局の、他の場面にも当てはまるある問題があるような気がする。

 市民から苦情が持ち込まれた当局は、反論してこじれると面倒なので、ひどく下手に出ることが多い。それが理不尽な苦情であり、謝るべきではないことであっても、謝って相手がご機嫌を直してくれれば、その方が楽なのである。これは、当局も様々な問題を持ち込まれて常に多忙である上、正しい選択よりも、楽な選択をしてしまった方がよいという人間一般の心理を反映している。人ごとではない。私だって、保護者からクレームがあった時に、同様の行動を取ることがないとは言えない。それほどに、相手の主張に反論し、納得してもらうのは難しく、困難な作業なのである。このような場合、相手は頭に来ていて、冷静な議論などできない状態になっていることが多いのでなおさらだ。

 それにしても、当局は内輪の人間である教員にはひどく居丈高であるにもかかわらず、外部からの批判には信じられないほど「ふぬけ」である(→身近な一例を2012年12月13日に書いた)。同様に、裁判でも学校の責任を問う判決が多いらしく、今や学校は、「批判されたら困る」「訴えられたら負ける」と言いながら、理念の追求を止め、周囲の顔色を伺うような対応ばかりするようになってしまっている。

 大川小学校に関して覚えているところで言えば、今年9月30日に遺族が文科省に、事故検証委員会の議論が核心に触れていないとして意見書を提出した時に、義家弘介政務官は「『仕方がなかった』という検証はあり得ない」と応対した。私は10月1日の『河北新報』でそれを読み、えっ?こんなこと言ってしまっていいのかな?「仕方がなかった」という結論がないということは、どういう結論ならあり得るのかな?結局、学校や教育委員会が責任を引き受ける以外の結論はなくなってしまうのではないかな?・・・と不安を感じた。「公」は「公」である以上、責任を持つべき場面は多いかも知れないが、何でもかんでも、「公」が落ち度を認めればいいというものでもあるまい。この世では、どうにもできない事が誰の身にも起こり得るのであり、黙って耐えるしかない場合もあるのである。

 政務官は「このような事態が二度と起きないようにすることが文科省の責務」と述べているが、災害や事件は手を変え品を変え起こる。防災とは一見関係の無いような、基本的な勉強、思考のトレーニング、そして自立(子どもや教員を管理しない=囲い込まないこと)こそが、また新たな問題が発生した時に、適切な対応を可能にする。最善は尽くす必要があるが、いつどんな事態が起こっても、人命が失われることは「二度と起きない」方策などあるわけがなく、まして将来に向けての約束や納得などあり得ない。

 石巻市も本心では「仕方がなかった」と思っていると思う。だが、遺族の感情を刺激しないようにと気を遣って対応した結果、問題をますますこじれさせてしまったのではないか?遺族が目指していることは何なのだろう?もう終わりにしてくれないかな?そうでなければ、遺族に同情し、亡くなった児童を悼む気持ちも失われていきそうだ。・・・と書けば、やっぱりこれは「心ない」意見なのかな?