権威について・・・『ガリーナ自伝』より



 先日(1月14日)、ナチス政権下のR・シュトラウスについて書いた。文中に、フルトヴェングラーショスタコーヴィチという二人の音楽家を対比的に登場させた。そうしたところ、ショスタコーヴィチについて知るために、20世紀ソ連を代表するソプラノ歌手・ヴィシネフスカヤの「自伝」を紹介(書き込み)してくれた方がいるので、この間、『ガリーナ自伝』(邦訳1987年、みすず書房)を手に入れてせっせと読んでいた。「ロシア物語」という副題が付いているが、それは「ソ連物語」とでもすべきであり、20世紀中葉のソ連社会についての描写が非常に面白い。気分としては、すっかり「没頭」してしまっている。ところが、バタバタと生活している上、細かい字の2段組で550ページもある大作なので、なかなか読了には至らない。途中ではあるが、少し気になったことがあるので触れておこう。

 読みながら、なんとなく「変だな?」と感じたので、我が家にあるヴィシネフスカヤの経歴に多少なりとも触れた資料を探してみた。彼女のレパートリーと私の趣味はすれ違うので、彼女の歌ったCDとて、一昨年買ったB・ブリテンの『戦争レクイエム』しかなく、基本的に私はロストロポーヴィチ夫人としてしか彼女を知らない。それでも、『戦争レクイエム』の解説書、1980年5月の彼女のリサイタルのプログラム(私は行っていない。私が行ったロストロポーヴィチの演奏会と、プログラムが兼用になっている)、私がかつて人名辞典の代りに使っていた『名演奏家レコードコレクション2001』(1979年)である。

 驚いたことに、ヴィシネフスカヤの経歴として、「レニングラード音楽院に学び」(解説書=これにはヴェーラの名前はない)、「レニングラード音楽院で、ヴェラ・ガリーナに師事して卒業した」(プログラム)、「レニングラード音楽院でベラ・ガリーナについて声楽を学んだ」(コレクション)とある。私は、これらのことをおぼろげに覚えていて、『ガリーナ自伝』にある彼女の経歴が違うものだから、「変だな?」と思ったのである。

 ヴィシネフスカヤ自身によれば、1943年にレニングラード音楽院に入り、アルメニア人のテノール歌手イヴァン・セルゲーエヴィチ・ディド=ズラーボフに師事したが、彼は教師として無能であったために、入門後3ヶ月で彼女は最高音を失い、6ヶ月で失意のうちにそこを去った。それから数年後(1947年?)、友人の紹介で、当時80歳であったヴェーラ・ニコラーエヴナ・ガリーナの個人レッスンを受けるようになる。ヴィシネフスカヤは彼女の指導があったからこそ、やがてオペラ歌手になることが出来たと回想する。つまり、レニングラード音楽院は、彼女の声楽家としてのキャリアの中でマイナスの要素でしかなく、卒業もしていない。そして、ヴェーラはそこの教師などではなかった、ということだ。

 『自伝』というもの、すなわち本人の証言というものがいかに多くのウソを含むかということについて、私は決して無知ではないつもりである。しかし、その場合、「自分の弱みを隠す」か「経歴を権威あるものにする」という目的での潤色が行われるのが大抵である。ヴィシネフスカヤの場合は、むしろ逆なのである。彼女がそのようなウソをつく理由は、私には思い浮かばない。だから、『自伝』の方が彼女の経歴を正しく伝えているのではないだろうか?

 我が家にあったヴィシネフスカヤについての資料では、共通して「レニングラード音楽院」という「モスクワ音楽院」と並び称される名門音楽学校の名前へのこだわりが感じられる。わずか3種類ではあるが、それは多くを代表するような気がする。ヴィシネフスカヤの存在を権威ある存在にするために、そこで学んだことが必要であると考えられたようだ。ヴェーラ・ガリーナも、レニングラード音楽院の教授であってこそ、その教育者としての有能さは証明される、というようだ。

 ヴィシネフスカヤは歌手である。人が彼女の「歌」を聴く時に、レニングラード音楽院の卒業生であるかどうかを意識するとは到底思えない。しかし、特に「プログラム」が最も極端な書き方をしていることから想像すると、商業主義の世界では、彼女を売るために、「レニングラード音楽院(卒業)」は有効であると考えられているようだ。これは、実に不愉快な事態である。

 思えば、以前勤務していたいわゆる「進学校」でも、生徒達が見せた大学の名前に対するこだわりは、かつて同様に受験生であった私にとっても「見苦しい」と感じられるレベルであった。いささか極論となるが、これらの事態に直面すると、学校とか卒業資格とかいったフレームはすべて無くなればいいのに、と思う。歌手の価値は、歌を聴いて判断すればよいのだ。その人が有能であるかどうかは、実際に話した時、書いたものを読んだ時に感じられる見識・学識や、仕事ぶりによってのみ判断すればよいのだ。判断に自信がなく、人の判断と自分の判断が違っていた時にあわてる精神が、そのような権威主義を生むのである。外在するものへの指向は、哲学的な思考と矛盾する。私が、不愉快を覚えるのは、権威主義が結果として人の内面性を疎外し、真理を探し求める作業から逃げることになるからである。