気仙沼線のBRT



 先週の木曜日、気仙沼へ行った。4月から遠洋航海実習に行っていた我がN3(航海類型3年生)の生徒諸君が、いよいよ戻ってきてまずは気仙沼に入港するからである。関係者は出迎えのために気仙沼まで出張が認められる。私は副担任なので、関係者の一人というわけだ。

 だが、今回の気仙沼行きについては、それだけではない別の事情もあった。専門外ということで、宮城丸に乗る機会のない私は、一度船内生活を垣間見てみたい、できれば宮城丸によるある程度の航海も経験してみたいと思いつつ、なかなかその機会が得られずにいた。今回、チャンスとばかり、気仙沼から石巻まで便乗させて欲しいと、船を管理する県の高校教育課と船長にお願いをして、許可を得たのである。震災で大きな被害を受け、復旧の見込みが立たないJR気仙沼線代行バスBRT(バス・ラピッド・トランジットバス高速輸送システム)に乗るチャンスでもあると思った。

 石巻15:23(JR石巻線)15:44前谷地15:49(JR気仙沼線)16:10柳津16:37(BRT)18:24南気仙沼

 思えば、私が小学校の頃は気仙沼線は開通しておらず、前谷地〜柳津(やないづ)間が「国鉄柳津線」として営業されていた。震災後、名称は気仙沼線のままだが、柳津が終点となったことは、「柳津線」の時代を彷彿とさせて郷愁を誘われる。

 柳津でBRTに17分もの待ち合わせ時間が設定されていることは理解に苦しむ。見れば立派なハイブリッドバスである。たった4人の客を乗せて、バスは定刻に出発した。

 「BRT」が何の略かというのは上に書いたとおりだが、ではなぜ「高速」かと言えば、かつての線路跡をバス専用道路とすることで、渋滞も信号もなく、定時運行が可能になるからである。とはいえ、広く知られているとおり、実際には専用道路の区間というのは決して長くはない。盛り土や橋梁の多くが津波で流されてしまい、線路跡が利用できない状態になってしまっているところが多いからである。専用道路区間は、以下の4箇所である。

 陸前戸倉志津川の手前

 歌津〜蔵内

 本吉〜小金沢の手前

 陸前階上の手前〜松岩の手前

 鉄道の距離から大雑把に推定すると、50キロのうち20キロ弱といったところである。Wikipediaによれば、志津川清水浜も専用道路になっていると書いてあって、実際に見ていると、確かに専用道路は使える状態になっているようだった。しかし、臨時駅であるベイサイドアリーナにどうしても寄らなければならない事情があるらしく、そのためには志津川清水浜をトンネルの専用道路で抜けてしまうわけにはいかないので、専用道路には入らない。

 専用道路区間にはトンネルが非常に多い。トンネル区間津波の影響を受けなかったことからすれば当然であるが、景色が見えないのはつまらない。また、BRTにはバス交換所とも言うべきすれ違い場所があって、そこには必ず信号があり、常に赤信号になっている。バスがそこに到着すると、間もなく青に変わるのだが、いちいち止まるのが少し煩わしい。併走する国道45号線が、人口過疎地ばかりを結んでいるため、信号が少なく、渋滞も発生しないだけに、わざわざ国道を離れて専用道路に出入りする手間暇も考えると、本当にBRTにメリットがあるのかどうか、ごく普通の代行バスでダメなのかは?だ。

 現在のBRT方式は、沿線自治体の同意に基づいて行われている。とはいえ、沿線自治体の希望はあくまでも鉄路による復旧である。しかし、JR東日本は、今年の2月だったかに、鉄路復旧の総事業費を700億円とし、うち400億円について公的支援を求めるという意向を示した。多分、まだ決着は付いていない。

 震災前の気仙沼線の営業係数は300を超えている。100円の収入を得るために、3倍以上の出費が必要だ、ということである。それを復旧させるために数百億円の投資をするのは、民間企業の論理にはまったく合わない。400億円の公的支援というのも、税金の使い方として納得できない人が多いだろう。だが、それでも、鉄道による復旧待望論が消えないのは、鉄道の存在感、鉄路で結び付いていることの安心感がいかに大きいか、ということである。私は鉄道大好きな人間ではあるけれど、400億円や700億円という金額が途方もなさ過ぎて、鉄道の価値との比較ができない。

 既にJRは専用道路の整備に相当なお金を費やしている。こぎれいなヨーロッパ風の駅(待合所)も作られている。特に本吉〜気仙沼間は、BRT化されることで便が3倍にも増えた。バスの方が運行経費が安い、ダイヤを柔軟に組めるといったメリットはあるのかも知れないが、それらを積極的にアピールすることで、JR東日本が、沿線住民の鉄路復旧への意欲を喪失させ、BRTの固定化を目指しているようにも見える。石巻で買った切符には、「石巻→BRT南気仙沼(市立病院入口) 経由:石巻線気仙沼線・柳津・BRT線」と書いてあり、もはやBRTは気仙沼線ではない独立した路線のような扱いだ。鉄路化の工事を進めるとなれば、移設区間はいいとしても、トンネルなどは従来のものを使うだろうから、せっかく作った専用道路を剥がし、バスの経路を変更して工事を行う必要がある。それはなかなか徒労感の大きい作業のような気もする。

 南気仙沼には定刻に着いた。気仙沼線南気仙沼駅からずいぶん離れた所にBRTの駅が作られていたため、自分の居場所が分からず、魚市場への道を通行人に尋ねたところ、教えてくれた道がなかなかとんでもなかった上、事前に聞いてきた宮城丸の停泊場所が違っていたこともあり、汗をかきながら50分も歩くことになってしまった。目指す宮城丸は、ほとんど日が暮れた気仙沼魚市場の一番南の端に止まっていた。