悪貨は良貨を駆逐する(1)

 とは、額面が同じで質が異なる(例えば金の含有量が多いものと少ないもの)2種類の通貨があった場合、質の高い方をためこんで、低い方ばかり使うため、流通するのは質の低い方ばかりになる、という経済法則である。転じて、善人が小さくなる一方で悪人が幅をきかせるゆがんだ世の中や、高尚な文化が衰退する一方で俗悪な文化がはびこる状況などを意味するようになった。
 まだ1年生が入学して1ヶ月にもならないが、既に来年12月の修学旅行(現任校での正式名称は学習旅行)の準備が始まっている。4月早々の会議で最初の議論が始まったのだが、私と意見を合わせるのは難しいと敏感に察知した人が、クラスごとに計画すればいい、と言いだし、往復の新幹線と宿泊地は共通とするが、日々の予定はクラスごとに立てることになった。
 意見のずれが露呈したのは、恐れていたことであるがUSJである。他の教員は、関西への修学旅行でUSJに1日を割くことは当然と考えているようだった。
 私は「学校としての見識が問われる」と文句を言った。それこそ山のように優れた文化財がある関西に行って、実質的に3日間しかない中の1日を、必ずUSJで遊びなさいというのは教育の放棄である、と私は考えている。全ては金の力。金さえ払えば、こちらは何の努力(勉強)も工夫もする必要がない。しかも、おそらくどうしてもUSJに行きたいのは全ての生徒ではない。行きたくない(=他に行きたい場所がある)、もしくは積極的に行きたいとは思わないという生徒に、たとえそれが1人しかいなかったとしても、むりやり数千円(団体扱いで高校生4700円。ただしあくまでも基本料金)の支出を強いるのは横暴である。関西に修学旅行に行くほとんど全ての学校が、必ずUSJを日程に組み込むという話を聞くと、我も我もと学校がUSJという一私企業に貢いでいるようでやるせない気分になってくる。教育についての理念があるとは思えない。生徒に迎合し、「みんなが行っている」という日本的同調主義の中で、USJ経営者の側から見れば、学校=生徒がみんな財布に見えるという状況が生まれたのだろう。資本主義に対する教育の敗北だ。頭に「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉が浮かぶ。
 しかし、そんなことを思うのは私だけである。他の人たちはほとんどUSJが修学旅行のメインイベントとさえ考えているようだった。そのため、宿泊地も1日目こそ京都だが、2、3日目は大阪と決まった。
 見積もりを取って業者を選定する都合で、5月2日までに概案を出せという。ホームルームの時間は全く保証されていない。私はめちゃくちゃにしんどい思いをして、クラスで意識調査を行い、HR委員や学習旅行委員と意見交換をし、全生徒に私の考えを述べた上で、三つの案から選択させるというやり方を取った。
 意識調査では、「行きたいところを5つ挙げよ」という問いに対して、USJを書いた生徒が35人中26人も出た。2位の清水寺が6人だから正に圧倒的である。しかし、考えてみれば、9人はベスト5にさえ入れなかったということだ。
 この結果を受けて、私は全員でUSJに行くというのはまかり成らん、と言った。理由は既に書いたとおりである。そして、妥協案があるとすれば、3日目を自主研修とし、その時間にUSJに行くことは認める、というものだとした。
 本心としては、USJを絶対に拒否して優れた文化財を見せたかったのだが、他の4クラスはUSJを日程に入れてくるようだったし、同じホテルに泊まっているわけだし、26人も希望者はいるし、ここで強引なことをするとクラスが崩壊するような事態にもなりかねないと思ったので、妥協案を出すことにしたのである。
 最終的に、私とクラス委員から全員に提示した三つの原案とは、次のようなものである(順番は私が勧める順)。
〈第1案〉
1日目午後:京都市内(清水寺など)
2日目:京都市内自主研修→大阪のホテル集合
3日目:奈良(東大寺興福寺薬師寺法隆寺
4日目午前:大阪市内(大阪城など)
〈第2案〉
1日目午後:京都市内(清水寺など)
2日目:京都市内自主研修→大阪のホテル集合
3日目:大阪界隈で自主研修(USJを認める。行かない人は私と奈良ツアー?)
4日目午前:大阪市内または姫路城
〈第3案〉
1日目午後:京都市内(清水寺など)
2日目:奈良(東大寺興福寺薬師寺法隆寺
3日目:大阪界隈で自主研修(USJを認める)
4日目午前:大阪市内または姫路城
 これらを示した上で、私は生徒が思い直すことを少し期待しつつ、投票前の最後のお話をした。(つづく)