県総体と隈研吾

 予告通り、県総体登山競技の会場で3日間を過ごしていた。予報通り、ずっと雨であった。 そして予想通り、計画は大きく変更された。
 ただし、別に文句があるわけではない。何しろ、発雷確率が何%という話である。雨は我慢すれば歩けるが、雷はそうはいかない。しかも、ゴルフ場での落雷の話など聞いていると、いくら遠くても、雷の音が聞こえた時にはもう「危険」なのだそうだ。1日目こそ、予定通りのコースを歩いたものの、2日目は、不忘の碑まで登らせることを諦め、アザレア平(1150m付近)をピストンさせるだけにし、幕営も取りやめ、南蔵王野営場の第1キャンプセンター(集会所みたいなところ)に宿泊させることにした。
 2日目、下山直後から強くなった雨は、午後から夜にかけて、久々に見るような本物の土砂降りになった。教員の宿泊は第2キャンプセンターだったが、第1から第2までのわずか300mか400mほどの移動が、非常におっくうに感じるほどだった。
 3日目である昨日は、少し落ち着いて霧雨になっていたが、木道が滑りやすくて危険だということで、水芭蕉の森への「お散歩」も、入り口の駐車場往復に変わった。これはさすがに軟弱だが、行って何かいい思いが出来るという場所でもないので、むしろ、せっかく乾きかけた雨具やザックカバーを濡らすためだけの行動をわざわざしなくてもいいのに、と少し思った。わずか1時間「お散歩」してキャンプセンターに戻ると、私たちの行動終了を待っていたように雨が上がった(笑)。
 行動が大きく短縮されたため、2日目を中心に多くの空き時間ができた。急遽、顧問OBのI先生による講話、班ごとの交流会などが企画された。にわか企画だったにもかかわらず、高校、大学と山岳部で活動し、顧問集団の中でもひときわ豊かな山行実績を持つと思しきI先生の講話は、情報の取捨選択、声の大きさ、話の早さなども適切で、予め周到に準備されていたかのような充実したものであった。1時間の班別交流会も、生徒自身が上手く内容を考え、いい時間になったような気がする。
 後は、例によってぐだぐだと顧問同士のおしゃべりなのだが、それでも時間を持て余すので、残り時間は読書にふけっていた。哀しいかな、常に本を持ち歩いている私は、今回も3冊の新書をザックに忍ばせていた。今回、会場で手にしたのは隈研吾『日本の建築』(岩波新書、2023年)である。とてもよく出来た本なので、この1ヶ月で既に3回目の読み直しだ。
 私は、隈が設計した建築物が特別に好き、ということもなく、人となりに興味があるわけでもなかったのだが、この本を読んでから、この人自体に強く惹かれるようになっている。
 『日本の建築』と題されてはいるが、基本的に明治以降の日本建築史である。桂離宮伊勢神宮日光東照宮あたりを取り上げるにしても、明治以降の建築家(外国人を含む)がそれらをどのように評価し、自分達の世界に取り込んだか、という問題のされ方だ。
 この本の何が優れているかと言えば、上のI先生の話と似通ってくるが、情報に関する隈の適切な取捨選択であり、その明晰な整理である。建築史である以上、誰もしくはどの建築物を取り上げるかから始まって、建築家一人一人の特徴や、相互の批判(対立)、影響関係が語られるのは当然であるが、「当然」とは言っても、執筆者によって提供される情報や評価は異なり、そこに執筆者の能力はよく表れる。他の日本建築史と丁寧に比較したわけではないにせよ、どの情報にどれほどの字数を費やすかというメリハリも含めて、隈の判断は絶妙であり、それによって文章が明晰になっていると感じる。ごく一部に説明不足による分かりにくさはあるが、読んでいてたいへん気持ちがいい。頭のいい人が書いた文章独特の気持ちよさである。
 自分の体験を語った部分も効果的だ。特に最終盤、237頁から始まる四国での体験は、建築史の叙述という点からすると客観性をやや逸脱し、自分の建築思想を語ることに流れているような感じさえするが、話として面白い上、その体験を通して得た隈の建築思想そのもの(「頭で設計する」のではなく「モノから考える」、「上からの設計」ではなく「下からの設計」)の魅力によって好感が持てた。
 さて、話が登山からずいぶん外れてしまった。元に戻そう。
 昨日、バスで仙台駅に戻った3時間後、恒例の「山おろし」(県総体の打ち上げ、兼、優勝校祝賀会)が某居酒屋で行われた。集まったのは17人。今年から顧問になったという2名の若者や、看護師が参加していたこと、しかも彼らが実に威勢よく日本酒を飲むこともあって盛り上がり、私としては珍しく、最終の仙石東北ライン(20:47)に乗ることを諦め、2次会に最後までいた上で、22時の仙石線石巻に帰ってきた。山に登るということに関して言えば、甚だ不本意な3日間だったのだが、なんだかとてもいい気分だった。