仙台と山形は驚くほど近い。約60㎞というのは決して近くはないようにも思うが、なにしろJRは仙山線が1時間に1本あるし、高速バスはなんと5~20分に1本、1日に76往復(休日は54往復)も走っている(これでもコロナで減便中)。所要時間は、鉄道でもバスでも1時間10分ほどだ。高速バスの平日と休日の運行本数の差を見れば分かるとおり、相手の県庁所在地に通勤・通学をしている人も相当数いるらしい。広域合併によって仙台市が肥大した結果、実際に山形市と仙台市は市境(=県境)を接しているのだが、そのような外形的な問題ではなく、本当に「隣町」化しているのである。
土曜日の演奏会は15時開演。いかに大曲で、盛大な拍手が長く続いたとしても、17時には終わる。その日のうちに石巻に帰宅することは容易であった。しかし、あまり歩いたことのない山形に行くのである。間もなく夏休みということもあるし、ここは少しのんびりしてやろうと、早い時期から泊まりで行くことに決めていた。
「泊まる」というのは、「呑む」というのとほとんど同義語である。私は寒河江在住の若き有能な環境デザイナーA君を誘った。A君は二つ返事で来てくれることになった。演奏会が終わって1時間後から、私は駅前の郷土料理の店で、楽しくお酒を飲むことができた。幸せな話である。
翌日はどうしようかな、と思っていた。実はこの日、出張で、昼過ぎまでに松島町に行かなければならなかった。案は二つ。一つは7:11分の奥羽本線に乗り、福島経由で帰る。目当ては峠駅で「力餅」を買うことである(→前回の記事)。もう一つは、山形市内をうろうろし、10:52の仙山線に乗る、というものであった。何しろ私は、霞城公園(山形城址)さえ行ったことがない。
結局、あまり悩む必要はなかった。お酒の飲み過ぎで、とても7時の列車に乗れる状態ではなかったからである。ホテルを8:30に出て、私はまず霞城公園に向かった。10:52まで2時間あまりあれば、霞城公園を散歩してから文翔館(旧山形県庁、現山形県郷土館)にも足を伸ばせるだろう、と思った。
暑い。土曜日は、これが本当に山形?というくらい涼しかったのに、日曜日は朝からじりじりと暑かった。霞城公園は南門から入り、済生館という歴史的建造物(現山形市郷土館)がまだ開いていなかったので、東大手門から北門、そこからお堀際の土手に上がって南門まで戻り、今度は開いていた済生館を見物し、大手橋を渡って本丸を見物し、その後東大手門の中を見物し、出てきた時にはもう10時を過ぎていた。そこで、文翔館どころか、霞城公園内にある県立博物館にも寄り道をせずに、街の中を通って駅に戻った時には、お土産を買う時間すら残っていなかった。
唯一、見物らしい見物をした済生館とは、昔の山形県立病院である。元々は文翔館のすぐそばにあったらしいが、50年ほど前に移築された。非常に特徴的な木造一部3階建て(内部は4層)の洋風建築(正しくは「擬洋風建築」と言うらしい。幕末から明治期に、西洋人ではなく、大工の棟梁によって設計・施工された洋風建築)で、中には医療関係の資料が展示されている。だが、価値があるのは建物だろう。国の重要文化財に指定されている。イザベラ・バードは、150人収容の病院と書いているらしいが、どう見ても、150人が入院できたとは思えない。診療・治療に必要なスペースを除くと、入院できるのはせいぜい30人くらいと思われた。これが、当時最先端の県立病院なのだから驚く。日本の洋風建築の系図のようなものが展示されていて、それがとても面白かった。
霞城公園は、わざわざ見に行くほどの場所ではなく、散歩コースとしての価値だけを感じた。とは言え、それとて、実際に行ってみないと分からないこと。A君のおかげもあって、いい山形を過ごせた。